1. 手紙と口頭で伝える
エルサレム教会は、パウロとバルナバと一緒に、アンティオキア教会にバルサバと呼ばれるユダと、シラスを送り出しました。そして手紙を託したのです。エルサレム教会がユダとシラスを遣わし、しかも手紙を書いて持って行かせたというのは、15章でのエルサレム教会における話し合いの決定の大きさを意味しています。
決定の伝達はパウロたちに伝えさせるだけでも、手紙だけでもできました。ただ本当にお互いの関係を大切にして、これから一緒に祈りあう教会として、顔と顔を向き合わせ、書面と言葉によって教会全体の思いを伝えることはエルサレム教会がアンティオキア教会を大切にしていることを表しています。
2. 励ますために
エルサレム教会が2人を送ったのは、アンティオキア教会を励ますためでもありました。15:31-32には、エルサレム教会の決定が励ましに満ちたものであったことが記されています。
23節では「兄弟として兄弟たちに送る手紙」と言います。この「兄弟から兄弟に」という言葉は大きな励ましとなったでしょう。
24節の「あなたがたを騒がせ動揺させた」は岩波訳では「あなたたちを騒がせ、あなたたちの魂を乱した」と訳されています。エルサレム教会はアンティオキアの教会の人々のことを、自分たちの教会の者が傷つけ、魂を乱したことを認めます。
26節では、バルナバとパウロを「わたしたちの主イエス・キリストの名のために身を献げている人」と認めたのです。アンティオキアにキリストによる福音を伝えた2人はエルサレム教会から認められた宣教者であるということです。この手紙は、励ましで満ちています。
3. 聖霊とわたしたちの決定
28節でエルサレム教会は、この決定が「聖霊とわたしたち」によるものであると伝えます。エルサレム教会でも多くの話し合いがなされました。その中では「割礼は必要だ」とか「何もしなくてもよい」という意見もあったと思います。そのうえで、ペトロとヤコブを中心に「ただ主イエスによる恵みによって救いを与えられていること」同時に「偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けること」を伝えるのです。
これがエルサレム教会の人々が話し合われた中で決定された事柄でした。エルサレムの教会は、この決定は「聖霊とわたしたち」による決定であると伝えるのです。この言葉にはエルサレム教会の人々の話し合いが、多くの祈りの中でされたものであり、この決定は、自分たちの知恵だけではなく、神様の導きによって与えられた、聖霊による決定だと信じて送っている言葉だと言っているのです。
どのようにしたら「聖霊」の導きであると確信したのでしょうか。それは話し合いの後の教会の状態を見ることによってわかったのではないかと思うのです。それはキリストによる一致です。エルサレム教会の最終的な答えは「ただキリストの恵みによる救い」という結論をだしました。ここに、教会としてのキリストによる信仰の一致をみることができなのではないかと思います。(笠井元)