イエス様の復活おめでとうございます!コロナウィールスの蔓延の不安の中で、受難節には、イエス様が裏切られ、孤独の苦しみを受けたことを、あたかも復活の喜びがなかったかのように捉えてはならないと言いました。今度は、復活されたお方、主イエス様は十字架につけられたお方であるということを忘れないようにしたいものです。人は、苦しみ、悩み、悪いこととしか思えない経験を通して、それらを内に含んでというか、それらを克服することで深く、広くされるのではないでしょうか。
1.主イエスの生涯の分岐点での出来事
この個所は、イエス様がバプテスマをお受けになった、罪人が悔い改めるバプテスマを受けられたことから始まる生涯と十字架と復活で始まる終わりの中間にあります。バプテスマは、主イエスが神と人への僕の道、十字架への道を歩まれる出発点であり、その時、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」であるという声が聞こえたと言います。神の子の祝福と僕の道は一体です。また、。縛られ、嘲笑される中で、「お前は、ほむべき方の子、メシアなのか」との詰問に、イエス様は「そうです」と答えられます。受難のただ中での栄光の輝きです。
2.苦難の予告
「それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに教えはじめられた。」8:31.そして、「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(34節)という勧めがなされます。十字架の苦難の影が明確に迫ってきたその時に、イエス様の決断に対して、イエス様と弟子たちを励ます神のみ心が示されるのです。
3.「メタモルホーゼ」:変容・変貌の希望
「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。」。苦難、排除される、殺される道、僕の道を歩むイエス様とそれに従う弟子たちに「ちょっとだけよ」ではありませんが、復活のヴィジョが瞬間的に出現したのでしょうか。苦しみは喜びに、死は命の輝きに変貌します。
4.「これに聞け」
ペトロは例の如く面白いことを言います。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。」復活と変貌の輝きは、小屋など建てても閉じ込めることのできない永遠の神の愛といのちの勝利の出来事です。弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただ、イエスだけが彼らと一緒におられた。復活されたイエス様は私たちの苦しみ、不安を味わい尽くされたお方です。この方に聞きましょう。(松見俊)