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2020.4.22 「第二伝道旅行の出発~仲違い~」 使徒言行録15:36-41

1.励まし合うために

 パウロがバルナバに、【「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たち を訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」】(36)と呼びかけます。

 パウロは、この前の伝道で福音を受け入れた兄弟姉妹のところに、もう一度訪ねてどのようにし ているかを見てこようと提案をしたのです。パウロはいくつもの教会を作りました。それは建物を 建てたということではなく、それぞれの場所において福音を伝え、イエス・キリストによってつな がる兄弟姉妹が与えられたということなのです。「教会の絵を描いてください」と言われたときに 皆さんはどのような絵を描くでしょうか。教会とは建物ではなく、イエス・キリストを頭とした信 仰によってつながる兄弟姉妹のことなのです。

  今、私たちは教会での礼拝ではなく、それぞれの場において礼拝を持っています。このようなと きこそ、ただ建物に集まることではなく、イエス・キリストによるつながりを大切にしていきたい と思います。

 パウロはこの「兄弟姉妹の様子を見に行こう」と言いました。それは「励まし」「励まされる」 ために出かけていこうと言っているのです。パウロは時には直接、または時には手紙を送って、多 くの教会を励ましたのでした。

 

2.仲違い

 しかし、ここで問題がおこりました。それは誰を連れて行くかということです。バルナバはマル コと呼ばれるヨハネを連れて行こうとしたのですが、パウロは、一度宣教の伝道旅行から離れた者 は連れて行くべきではないと考えたのでした。(使徒言行録13:13)

  マルコと呼ばれるヨハネがどのような理由で伝道旅行から離れて、エルサレムに帰ったのかは記 されていません。すべては憶測ですが、迫害が激しくなり恐れて逃げ出したとか、もともとキプロ スまでしか行く気がなかったとも、またはパウロと仲が悪かったとも言われています。

  このマルコをバルナバは連れて行こうとしたのです。なぜパウロと激しく衝突してまでバルナバ がマルコを連れて行こうとしたのか。その理由もわかりません。これも憶測でしかないのですが、 バルナバは、一度逃げ出したマルコにもう一度チャンスを与えたかったとも言われ、または途中で 帰ったとしてもキプロスに行ったことのあるマルコを連れて行くことは意味があると考えたとも 言われています。

 それに対して、パウロは38節から読み取るならば、「一度、宣教の働きを投げ出した者は、伝 道者としては失格だ」と考えたと見ることができるのです。それは、ただパウロはマルコが嫌いだ ったということではなく、パウロが福音を伝えるために考えた必要な人選だったと考えられます。

 バルナバも、パウロも自分の感情ではなく福音伝道のためにという理由で「連れて行くべきだ」、 「連れて行くべきではない」と意見が衝突したのです。そしてだからこそどちらも一歩も引くこと ができなかったのでしょう。

 

3.人間の失敗をも用いられる神様 

  この衝突の結果、バルナバとパウロは別行動をとることになりました。【そこで、意見が激しく 衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かっ て船出したが、一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。 そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた。】(39-41)

  パウロとバルナバが意見を衝突させた結果、 2 人は分かれて伝道を行っていくこととなりました。 この結果だけを見ると分裂から二つのチームが出来て、予定以上の働きが生まれて良かったとも見 ることができます。

 しかし、衝突や分裂はそれほど簡単なものではありません。言い争いから分裂 し教会が崩壊してしまうことはいくつもあるのです。人間同士の争い、衝突、分裂は、それ自体が 良いものだとは言えないでしょう。

  しかし、それでも尚その人間の弱さや、失敗を用いてくださる神様の御業を見たいと思います。 パウロとバルナバはアンティオキア教会の中心人物です。多くの人々が信頼していたでしょう。し かし、パウロも、バルナバも間違えがあり、失敗する人間であるということです。神様は人間の失 敗をも用いてくださいます。言い方を変えると、人間の弱さや限界、指導者の未熟さ、欠点も神様 の働きを妨げることはできないのです。私たちはこの神様に期待して「福音のため」に大胆に歩ん でいきましょう。 (笠井元)