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2020.5.13 「神様の導きによって働く」 使徒言行録16:11-15

1. 神様の導き

 パウロは神様の導きを受けてマケドニアに向かいました。そして、フィリピに到着し、そこでリディアに出会いました。リディアはティアティラ市の出身で、紫布の商売をしていた裕福な女性実業家でした。リディアはパウロによる福音の言葉を聞いて、主を信じて家族と一緒にバプテスマを受けたのです。

 リディアの回心については【主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。】(14)ことによって起こされました。ここに「主が心を開かれた」という神様の導きを見ます。リディアはパウロの言葉を聞きバプテスマを受けました。それはパウロの言葉が素晴らしかったということや、リディアが特別熱心で理解力があったからなど、人間側の何かによるのではなく、神様が心を開かれたからなのです。私たちの信仰の土台は神様にあります。神様が手を差し伸べてくださり、私たちの心を開いてくださったのです。どのような時も変わることのない神様に、信仰の土台があることは一番安心できることです。

 私たち人間の信仰はとても不安定なものです。箴言ではこのように言います。【むなしいもの、偽りの言葉を、わたしから遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンで、わたしを養ってください。飽き足りれば、裏切り、主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き、わたしの神の御名を汚しかねません。】(箴言30:8-9)

 人間は、悪いことが続けば神様の愛を疑う者となってしまうし、良いことが続けば、それはそれで神様を必要としなくなってしまう者です。この言葉は人間の信仰の弱さを教えています。

 

 リディアの信仰の土台がパウロの言葉やリディア自身にあるとすれば、それはとても不安定なものとなります。それでは、パウロが間違ったことを言ってもそれに従ってしまうかもしれませんし、リディアが熱心でなくなれば信仰はなくなってしまうのです。

 私たちは、自分が何をもって神様を信じているのか確認してみましょう。

 特に今、新型コロナウイルスにという大きな困難の中にある中で、神様が私たちの信仰の土台にいてくださることを覚えたいと思います。私たちは神様に自分の痛みを叫び、苦しみや不安を向け、「なぜですか」と問うことが許されているのです。それもまた信仰の一つの行為、神様への祈りです。

 

2. 福音の言葉

 リディアはパウロの話を「注意深く聞いた」のです。別の訳では、【パウロの語る事に心を留めるようにされた。】(新改訳)【パウロの語ることに耳を傾けさせた。】(口語訳)とあります。

 リディアの回心は神様によるものです。同時に、リディアは何もなく、回心したのではなく、神様によって遣わされたパウロの言葉によって回心したのです。つまり、神様は、その御業をパウロという人間を通して起こされたのです。リディアの回心のための、パウロの働きの大切さを見ることができます。そしてまた、福音を語ることの責任を教えられます。わたしたちには神様に遣わされたものとして福音を宣べ伝える責任があるのです。

 

 私たちはそれぞれに、神様を信じてバプテスマを受けるときにきっかけがあったと思います。そのきっかけは、説教だけではなく教会での人間関係や誰かの一言、祈られていることを知ってバプテスマを受けたという人が多いと思います。教会での交わり、挨拶や話しかける一言の大切さ、関わりの必要性を教えられます。私たちは、教会での交わり、祈りのうちに、神様が働いてくださることを覚えていきたいと思います。特に今は、それぞれの場所で礼拝を守るようになっています。このようなときだからこそ、今まで以上にお互いのために祈りましょう。

 

3. 分け隔てない救い

 リディアは裕福な女性でもありました。ルカによる福音書では【「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」】(18:25)と、富める者が神様を信じることの難しさを教えています。

 ただパウロと共に伝道旅行をしたバルナバも、自らの土地を売って代金を持ってきた裕福な者ですし、裕福な者が救われないということではないのです。富も神様から頂いている恵みです。リディアでいえば、紫布の商売をしていましたので、その商才もまた神様からの賜物です。私たちは、自分の頂いている賜物を考えてみましょう。今、私たちには何ができるでしょうか。自分に与えられている賜物を神様に喜んで献げましょう。

 また、裕福であり、女性であるリディアの救いは、神様の救いには富や性別などという分け隔てはなく、すべての者に向けて開かれているということ教えます。

 私たちは、この世にあって違う立場、違う性別、違う状況に立たされています。神様は一人もその救いから外れることを望んでおられず、すべての者に救いの福音の御業を開かれています。私たちは、自分自身がどのような立場にあろうとも、神様は救いの手を差し伸べられている恵みを喜びましょう。私たちは神様に愛されている存在です。そしてだからこそ自分で勝手に分け隔てすることなく、誰に対しても神様の福音を宣べ伝えていきたいと思います。(笠井元)