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2020.7.8 「恐れるな、語り続けよ」 使徒言行録18:1-11

1.アキラ、プリスキラとの出会い

 コリントに来る前パウロはアテネで宣教をしていました。アテネでの結果は、人々はパウロの言葉に興味を持ちながらも、「死者の復活」を信じることができず、パウロをあざ笑ったのでした。

 パウロ自身がⅠコリント2:3で【そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。】と語るように、コリントに来た時のパウロは伝道に疲れ、意気消沈していたのです。

 そのようなパウロがコリントでアキラとプリスキラに出会います。この二人とは、この後エフェソまで共に伝道を続けました。パウロはローマ16章で【キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。】(ローマ16:3-4)と語っているように、アキラとプリスキラは命がけでパウロを守ってくれた協力者としています。

 アキラとプリスキラは2節にあるように、ローマから退去させられてコリントに来たのでした。二人はローマですでにキリスト者となっていたとされ、ローマからのユダヤ人退去命令はユダヤ人とキリスト者による争いがあったからともされています。パウロはコリントでこの二人、アキラとプリスキラと出会いました。

 

2.神の計画

 意気消沈していたパウロはこの二人と出会い、再度、伝道をする力を得ていったのです。二人とのつながりは、同じキリスト者であるということだけではありませんでした。一つは、パウロが意気消沈してアテネからコリントにやってきたように、二人もまた、ローマを追い出されてきたということ、またもう一つとして同じ職業であったというつながりがありました。

 この出会いに神様の計画を見ることができます。パウロにしても、アキラ、プリスキラにしても、自分たちの思い通りに生きることができていたわけではありませんでした。むしろ望んでいた道が閉ざされ、別の道に行かなければならなかったのです。困難のなか、ただ逃げるように歩んできた。そして、そこに新しい出会いが与えられたのです。しかも、同じような境遇で同じ職業のキリスト者です。

 私たちも、自分が望まない状況に置かれたときに、自分の思い通りに人生が進まないときこそ、そこに神様の導きを見出したいと思います。神様の計画・導きは、私たちの思いを超えたところにあるのです。

 

3.協力者

 パウロがアキラ、プリスキラに出会う中、そこにシラスとテモテがやってきます。パウロはこのことによって、【パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。】(5)のです。

 パウロはみ言葉を語り、力強く証しし始めました。それまではパウロはテント造りをしながら宣教をしていましたが、シラスとテモテが経済的な援助を持ってきたからともされます。ただ、それよりも、アキラ、プリスキラに加え、シラスとテモテという協力者を得たことのほうがパウロにとっては力強くされた要因であったと考えられます。

 ここに教会の存在の大切さを見るのです。教会は、キリストを信じる信仰によってつながる信仰共同体です。それぞれは時に傷つき、時に打ちのめされ、自分一人では越えられない壁にあたり、自分の弱さに出会います。そのような中で共に祈りあう兄弟姉妹の大切さを教えられます。

 

4.わたしがあなたと共にいる

 パウロはある夜、幻の中で神様の言葉を受けます。【ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」】(18:9-10

 神様は「わたしがあなたと共にいる」と言われます。一人ではなく協力者を得たパウロに、その中心に神様が「共におられる」ことを示されます。聖書が教える神様は「共におられる方」です。

 パウロは、神様が共にいてくださるということを、実際に多くの協力者を得る中で、強く実感することができたでしょう。また、同時に、どれほど心が繋がりあっている協力者、同じ職業であったり、同じような立場にあって共感できたとしても、神様が中心にいなければ、本当のつながりを得ることにはならないのです。

 

5.語り続けよ

 神様は「私が共にいる。だから恐れず、語り続けなさい」と言われます。このあと【パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。】(18:11)とあるように、コリントに長期間とどまることになります。

 この時にも6節からあるように、いつものごとくユダヤ人による反抗がありました。そのため【パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」】(18:6)と関係を断ち切るための行為を行い、「異邦人の方へ行く」としました。

 これは、パウロがユダヤ人を見捨て、回心させることをあきらめたということではないのです。実際パウロはこのあと18:19にエフェソでも会堂に入りユダヤ人と論じあったのでした。パウロはユダヤ人にも、そして異邦人にも、神様の福音を語り続けました。その根底には、「恐れず、語り続けなさい、わたしがあなたと共にいる」という、神様の命令と励ましがあったのです。

 神様は私たちにも「恐れるな。語り続けなさい。」「わたしがあなたと共にいる」と語られているのです。この言葉を受けて、どこにあっても、主が共におられる恵みを受けて、神様の福音を宣べ伝えていきたいと思います。(笠井元)