1: 裁き合うのではなく赦し合う
今日の御言葉が教えているのは「裁きあうための言葉」ではなく、「赦し合うための言葉」です。すべての人間は罪人です。だからこそ、すべての人間が神様に赦されていることを受け入れる必要があるのです。
皆さんは隣人の間違いを見つけたときに、きちんと忠告することができるでしょうか。現代は超個人主義といわれ人間関係が断絶している社会となっています。誰かが間違った道を進んでいたとしても、「私には関係ない」と思ってしまうのです。このような私たちに、聖書は「兄弟に忠告しなさい」「共に生きて、互いに励ます関係を持ちなさい」と教えているのです。
2: 傲慢という罪
教会は、歴史の中で多くの罪を犯してきました。バプテスト教会も少数派の時は異端者とされ迫害を受けたのですが、多数派となると他者を裁く者となってしまったのです。他者を裁く罪の中心にあるのは「傲慢」と「自己絶対化」です。私たちは、どのような立場にあっても、謙虚である必要があるのです。
3: 神の国を垣間見る場所としての教会
教会は神の国を表す場所です。教会はイエス・キリストの名によって集まる場所であり、ここに神様の愛を見ることができるのです。教会には、神様の愛を表すという責任があります。それは、罪ある者がお互いを裁くのではなく、神様に赦されている者として、赦し合う場所です。そこに神の国、神様の愛の支配の場所を垣間見ることができるのです。
4: 心を一つにして
教会は心を一つにして求めるように言われています。現在は、新型コロナウイルスによって、世界中が混乱に陥っています。ニュースを聞いていると生きていることに絶望してしまいます。しかし、そのような時だからこそ、私たちは教会として心を一つにして「神の国が来ますように」と祈り求めていきましょう。天の父はそれを聞き、かなえてくださるのです。ここに希望があります。私たちは、心を一つにして祈り、ただ信じて神様のみに仕え歩んでいきましょう。(笠井元)