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2020.8.9 「沈黙:神に信頼し、聴くこと」(要約) アモス書5:10-15

 新型コロナウイールス感染の「緊急事態宣言」発令の中、ほぼ毎日、百道浜を散歩していました。その時期のゴーストタウンのような天神の街も記憶に残っていますが、誰もいない浜辺を散歩して感じたことは、私たち人間の存在は神が創造された世界を傷つけ、人間は環境には迷惑な存在なのではないか、余りに環境世界を「酷使」してきたのではないかと思い、何か消え入りたい感覚でした。沈黙の世界からの叫びのような声に耳を傾けねばと思いました。戦後75年目を迎える8月、戦争で傷つけ、傷つけられた人たちを静かに想う月です。よく、「黙祷」と言葉を聞きますが、一般の日本人は何に向かって、何を黙って祈るのでしょうか?アモス5:13には「それゆえ、知恵ある者はこの時代に沈黙する。まことに、これは悪い時代だ。」という言葉があります。これはどのような意味でしょう。

 「慈愛」をテーマにする預言者ホセアと違い、預言者アモスは吠えたけるライオンのように、当時の不正な政治家や貧しい人たちを抑圧する者たちに挑み続けました。

 

1.「知恵」としての沈黙

 多くの聖書学者は、文脈から浮いている13節を、いわゆる「知恵文学」という伝統の後代の加筆・編集であると考えています。しかし、人間の知恵として、沈黙の第一の意味は、時流に乗って余計なことを言わないことであるということは重要なことであると思います。私たちは、話すことで自己宣伝をしたり、人を傷つけたりします。そのような中で、沈黙をすることに意味があります。

 

2.無視、拒否としての沈黙

 沈黙の第二の意味は、人を無視することです。教師や親が子どもを無視する、いわゆる、「ネグレクト」(neglect)です。むろん、子どもが親を無視することもあるでしょう。返事を拒否する陰険な「沈黙」があるのだと思います。だからこそ、信仰者は、神に向かって「沈黙しないでください」と叫び、祈っているのです。詩編83:1。主なる神は、情熱の神ですから、決して陰険で、冷酷な沈黙をすることはありません。詩編50:3「わたしたちの神は来られる/黙してはおられない。」

 

3.信頼、聴くこととしての沈黙

 沈黙することの第三の意味は、主なる神に信頼し、助けを「持つ」、主なる神が語られるから、静まって耳を傾け、聴くこととしての沈黙です。それは、「濃厚な沈黙」です。詩編65:1に不思議な言葉が登場します。「沈黙してあなたに向かい、賛美をささげます」。別の翻訳では、「あなたに向かって沈黙は賛美なり」「あなたに向かって沈黙こそ賛美なり」です。

 新型コロナイウルス禍で礼拝において十分に讃美歌を歌うことができません。しかし、濃厚な沈黙というか、沈黙をもって神の声を聴き、沈黙こそ賛美であるということもあるのではないかと思います。賛美には沈黙せずに、賛美歌を歌うことと、沈黙において神を賛美するという両面があるのです。この両面で神を賛美しましょう。(松見 俊)