1. パウロの牧会
23節からパウロの第三回の伝道旅行が始まります。パウロは弟子たちを力づける旅として出かけます。パウロも弟子たちに出会う中で励まされていたでしょう。力づけ合い祈り合うことの恵みを見ることができます。パウロは教会を力づけるために手紙を書きました。手紙の最後は「神様の恵みが一同の上にあるように。」「アーメン」といった祈りで終わります。パウロは弟子を力づけること、共に祈ることにも熱心でした。
2. プリスキラとアキラの牧会
24節からアポロが登場します。アポロは「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」のです。イエスのことを「正確に」語っていたアポロが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった。難しい問題です。アポロはユダヤ教の説教者であった、ヨハネの弟子であったとも考えられました。
確実なのは、アポロの話を聞いたプリスキラとアキラは彼を招いて、もっと正確に神の道を教えたということです。アポロには欠けている部分があった。そして、プリスキラとアキラはアポロのために祈り、働いたのです。
3. ヨハネのバプテスマとイエスの名によるバプテスマ
ヨハネのバプテスマとイエスの名によるバプテスマは何が違ったのでしょうか。今日の箇所から見ると19:4においてパウロは、「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」と教えています。バプテスマのヨハネが教えたのは「悔い改めなさい」ということです。そして、イエスの名によるバプテスマは、この「悔い改め」の中心に、イエス・キリストご自身が来てくださったことを信じることです。
4. 聖霊が降る 賜物
人々がイエスの名によるバプテスマを受ける時、そこに聖霊が降ったのでした。聖霊はイエスを主と告白するために注がれているのです。(Ⅰコリント12:3)バプテスマと聖霊、その順番はそれぞれの記事によって違います。10章のコルネリウスの回心の記事では、聖霊が降り神を賛美したのでバプテスマを受けるのです。(使徒言行録10:44-48)
イエスの名によってバプテスマを受けた者は、聖霊による賜物を受けるのです。何を賜物というのか。時に自分の弱さをも、そこにキリストが働いておられることであると受け入れる時、それは聖霊による恵みの賜物として受け入れることとなるのでしょう。
5. かたくなな心
パウロは、福音の出来事をエフェソで語ります。しかし、そこにかたくなな者たち、信じない者たちがいました。かたくなな心とは「悔い改めない心」自分の力のみで自分を清く正しい者とする心です。それは自分の弱さも他者の弱さをも受け入れない心でもあります。聖霊は、私たちが自分の弱さを神の賜物として受け入れる者となるように働かれます。私たちの弱さの中にこそ主イエスがおられるのです。(笠井元)