1: 神の情熱的愛
神様はイスラエルを選び、神の宝の民とされた。これは、すべての人間に向けられます。「あなたは神様に選ばれ、愛された」。「あなたは神の宝である」。
このことを「主が心引かれた」とも表します。ここでの「心引かれた」という言葉は、いわゆる欲情「エロス」の愛として使われる言葉です。神様が、イスラエルの民を愛するのは、雷のように衝撃的なことであり、一瞬の出来事であったのです。神様はイスラエルの「貧弱さ」に心を動かされたのでした。神様は人間の「貧弱さ」「弱さ」に情熱的に心を動かされた。それが神様の価値観です。
2: 選ばれた意味
神様が選ばれたのは二つの意味があります。一つは、神様の愛とは、ただ神様の一方的な愛によるものであるということです。私たちは何かをすることで愛されるのではなく、ただ神様の一方的な愛によって救われた者として選び出されているのです。
もう一つイスラエルが選び出された意味は「先祖との誓い」、「神様とアブラハムとの誓い」によるものだということです。イスラエルの民は神様を信じ続けたのではなく、むしろ、神様を忘れ、離れ、自分勝手に歩んだのです。それでも、神様はこのアブラハムとの約束を守られたのです。
神様の約束は何があっても変わることはないのです。神様の最大の救いの誓いとして表されたのが、イエス・キリストの十字架と復活です。
3: 選ばれた方 イエス
神様はすべての民を救い出すために、イスラエルを選びだされた。そして、すべての人間を救い出すために、イエス・キリストを人間の代表として選び出されたのです。イエス様は、人間としてこの世に来られました。しかしその人生は軽蔑されるような存在でした。神様はこの貧弱なイエスの死と復活をもって、どのような人間でも愛していることを表されたのです。
4: 神の選びに応答する
神の選びによる救いは、神様の一方的な愛であり、信じ信頼することのできる愛です。私たちは、何をもって神様の愛に応えていくことができるのでしょうか。私たちは神様から知恵、力、財産など多くの賜物をいただいています。私たちは自分のすべてが救いの御手をもって与えられている、神の恵みであることを覚えていきたいと思います。そして「自分のためではなく、神様のため、他者のため」に生きるという道を選んでいきましょう。私たちが、少しでも自分の何かを犠牲にして、他者の幸せを願うならば、そこに神様の御業が表されるでしょう。(笠井元)