教会とは何でしょうか。なぜ人が洗礼を受けてクリスチャンになったら教会に通いはじめるのでしょうか。キリスト教界のルールだから逆らうことができないからでしょうか。それとも、キリスト教信者・先輩が教会・礼拝を守り続けてきたからでしょうか。この度、前田麗奈さんのバプテスマクラスを担当させていただく際に、「教会とは何か」ということを改めて問い直す機会をいただきました。
1、教会とは何か
「教会」を言い表す英語は「church」、その語源はギリシャ語の「ekklesia(エクレーシア)です。エクレーシアは「神に集められた者」「神に呼び出された者たちの集団」と理解されていますが、聖書では、教会は「キリストの体」(エフェソ1:23)であり、「神の民」「神の家族」「神の建物」「聖なる神殿」「神の住まい」(エフェソ2:19-22)であると記されています。つまり教会は、神によって呼び集められ、結ばれる共同体、互いに影響し合い、有機的な身体性を持つ共同体であると言えます。
2、共同体としての教会
人は、共同体を必要とする生き物です。この世には、学校共同体、スポーツクラブ、塾、企業共同体、血縁共同体、地域共同体、国家共同体などがありますが、教会はこれらの共同体に覆い隠されることなく、常に神に呼び出された群として聖なる共同体である自覚を持って、周りの人と共に信仰の道を歩む使命を与えられています。
3、礼拝者・寄留者・弟子の共同体
『宣教って何』という本の中に、教会について考える際に、四つの観点を提示しました。すなわち、教会は「礼拝者の共同体」「寄留者の共同体」「弟子の共同体」「世を福音化する共同体」という観点です。この世において、どのような仕方で神の民としてアイデンティティを保ち、教会本来の共同体性をどのように構築するかということは、現在一番取り組むべき宣教の課題ではないかと思います。
4、世を福音化する共同体
教会が愛と憐れみ、和解と平和の共同体である以上、社会的構造によって苦しめられ疲弊させられている人々、世の共同体に問題を感じている人々に、別の共同体の可能性を示していかなければなりません。差別、偏見、暴力、抑圧などの非人間的扱いを無くし、福音・平和を世に表わす神の働きに協力し、参加してまいりましょう。(劉雯竹)