1. トロアスからミレトスへ
パウロ一行はトロアスからミレトスへと向かいました。パウロは五旬祭にはエルサレムに着いていたかったため、旅を急いだとされます。異邦人の地に向かい伝道をしていたパウロですが、ユダヤ人としての伝統を大切なものとしたのです。
2. 聖霊による導き
パウロは22節において【そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。】(22)と言います。
パウロのこれまでの伝道旅行は聖霊の導きによるものでした。ただ、聖霊による導きに従ったパウロの伝道旅行は困難だらけの道でした。
パウロが歩んだ伝道の道とは21節にあるように、【神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきた】(21)道なのです。イエス・キリストによる福音は、ユダヤ人にとってはつまずきであり、異邦人にとっては愚かなものだったのです。(Ⅰコリント1:22-24)パウロは、聖霊による導きとしてエルサレムへ向かいます。エルサレムへの道は、投獄と苦難が待ち受ける道でした。それでもパウロはその道を歩み続けるのです。(22-24)
3. 目を覚ましていなさい
パウロはこれから教会には「残忍な狼が入り込んできて群れを荒らすこと」、また「あなたがたの中からも邪説を唱える者が現れる」と忠告します。(28-31)
教会とは、この世における人間の「自己中心」の生き方から、神の愛を受けて「互いに仕える」生き方に生きる場所、神の国を見る場所です。そこには多くの誘惑があります。
パウロは「目を覚ましていなさい」(31)と教えます。ルカ22章ではイエス様が十字架の前に神様に祈りました。その時、弟子たちは寝てしまっていました。(ルカ22:39-46)イエス様は弟子たちに「目を覚ましていなさい」、「誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」と「祈る」ことを教えました。
目を覚ましているために、私たちは祈るのです。また私たちは祈られているという恵みを覚えたいと思うのです。パウロとエフェソの長老たちは、祈りによって、イエス・キリストを中心につながっていたのです。(36)
4. 与える者となる
33節からパウロは、自分は他者の金銀・衣服をむさぼったことはなく、自分の手で、自分の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたことを教えます。「弱い者を助けるように、与える者となりなさい」と教えるのです。これがパウロがイエス・キリストの十字架と復活という福音から得た生き方でした。(笠井元)