1: 金持ちが天の国に入るのは難しい
金持ちが天の国に入るのは難しい。これは当時の考え方とはまったく逆の考え方でした。富は神様の祝福だと考えられており、それは、その人または先祖の人が神様に対して正しく生きた報いであったと考えられていたのです。これは善いことをすれば善いことが起こり、悪いことをすれば悪いことが起こるという、「因果応報」の考えです。イエス様は「金持ちが天の国に入るのは難しい」(23)と言われました。お金を持っている者は、自分の持つ力である程度のことができてしまうため、神様の恵みによって生かされているということを忘れてしまうということです。
2: 何をすれば救いを得るのか
16節から金持ちの青年のお話があります。青年はイエス様に「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」(16)と尋ねたのです。イエス様は「もし完全になりたいならば、持ち物を売り払い貧しい人々に施しなさい」(21)と言われました。この言葉に青年は悲しみながら立ち去ったのです。この青年は自分の財産を手放すことはできなかった。つまり、神様ではなく富を土台として生きていたということです。
3: 神の恩恵によってのみ救いを得る
イエス様は、「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(19:23-24)と言われました。らくだが針の穴を通ること。それは不可能だということです。つまり、人間が何をしても、人間の行為によって救われることはない。救いは神様の一方的な恵みとして与えられるのです。神様は自らの自由な選びのうちに、人間を愛することを決断されました。イエス・キリストの死をもって、神様は自らが苦しまれ、私たちすべての人間が愛される道を開かれたのでした。
4: 仕える者となる
神様はすべての人間を愛されています。「家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てる者は・・・」とあるので、すべてを捨てなければいけないと読み違えてしまうこともあります。すべてを捨てるとは、すべてが神様の恵みであることを受け入れるということです。
「十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。」(28)この言葉は支配する権威を与えられるということではありません。イエス・キリストがすべての人間に仕える者として生きたように、「新しい神の民・すべての民」に仕える者となることを教えられているのです。神様から恵みと愛を受け取りましょう。そのとき、私たちの生きる生き方は変えられるでしょう。(笠井元)