1. 弟子たちとの交わり 祈り
パウロ一行はティルスに7日間滞在しました。最初のヘレニスト伝道によって建設された教会の場所です。「彼らは“霊”に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返して言った。」とあります。これはこれまでの聖霊の導きとは矛盾するものであり、ルカによる加筆とされています。
ティルスの人々は妻や子どもまで連れて、町外れまで見送りに来て、共に祈ったことが記されています。共に祈り合っていくことはパウロを励ましたでしょう。パウロは、伝道に向かったそれぞれの場所で様々な苦難に出会うと共に、また涙を流し祈り合う兄弟姉妹に出会ってきました。私たちも兄弟姉妹との祈り、交わりによって支えられていることを覚えましょう。
2. パウロの動揺と覚悟
パウロは、カイサリアでフィリポのところに泊まりました。ここにアガボという預言する者がやってきました。アガボは11章27節からの場面でも登場しています。アガボは、パウロの帯をとり、自分の手足を縛り「ユダヤ人に捕らえられ異邦人に引き渡される」と言いました。この言葉を受けて人々は、パウロにエルサレムに上っていかないようにと頼みます。
パウロはこれら一連のことを受けて、「泣いたり、わたしの心をくじいたりしないでくれ」と言います。つまり、パウロはその涙によって心がくじかれそうにもなったのです。パウロは「何が神様の御心なのか」考えさせられたでしょう。そのうえで「主イエスの名のためならば、それが神の御心であれば、死を覚悟した」のです。
3. 主の御心が行われますように
このパウロの言葉を受けて人々は「主の御心が行われますように」(14)と言いました。この言葉はイエス様のゲッセマネの祈りの言葉を思い起こさせます。パウロの関心は自分の意志ではなく、神様の意志がどこにあるかということです。「関心のあるところに信仰がある」と言われますが、わたしたちは自分の一番の関心事はどこにあるでしょうか。
神様は、私たちの祈りを聞き、私たちが生きる道を整えてくださるのです。ただそれが、私たちの願いとは違う道であることは多々あるのです。パウロは、イエス様の弟子として、このイエス様が歩まれた苦難の道を歩くこともまた神様の御心であると信じたのです。私たちもどのような時も、そこに「主の御心が行われますように」と主の御心を求めていきたいと思います。(笠井元)