1: 神様に創造された者
今日の箇所は、霊と肉とが対比したものとして記されています。これだけを読むと、私たちは、「霊」は素晴らしいもので、「肉」は悪いものだと受け取ってしまうかもしれません。そのため、まず、神様から与えられている「肉」の素晴らしさを確認したいと思います。
神様がこの世界を創造されたとき、それは「極めて良かった」と言われたのです。人間のすべては神様に与えられた素晴らしい恵みです。私たちは、神様から生かされていることを喜び、また様々な賜物を頂いていることを喜んで受け取りたいと思います。私たちが神様から頂いた「肉」として、神様の前に、精いっぱい生きることは素晴らしいことです。
2: 肉の思いに生きること
「肉の業」とは、「神様から頂いた肉を喜んで生きること」ではなく、「肉の思いによって生きる」ことを意味します。
ガラテヤの信徒への手紙では、律法に囚われて生きることではなく、信仰によって生きることを教えています。つまり自分の行為によって救いを得るという考えから解放され、神様に対する信仰によって生きることを教えているのです。自分の行為によって救いを得るとするとき、肉の業は、自分自身を自分のものとして、自分勝手に使っていくときに生まれてしまうのです。
3: 隣人との関係においていただく「聖霊の結ぶ実」
みなさんは、どのような実を結ぶ者とされていきたいでしょうか。「霊の実」は、自分一人で結ぶ実ではありません。隣にいる人、その人間との関係において結ぶことができる実です。自分一人では、「愛」を作り出すことはできません。神様は、自らとイエス・キリストとの関係をもって、「愛」を示されました。そしてその関係を結ぶ方が聖霊なのです。私たちは、聖霊によって、隣人との関係を結ばれる中で、「霊の実」を頂くのです。
私たちすべての人間は、どんな者も神様によって愛されて受け入れられているのです。神様にとって、すべての者が大切な存在なのです。
4: 霊の実
私たちに与えられる霊の実は、「愛」「喜び」「平和」「寛容」「親切」「善意」「誠実」「柔和」「節制」です。私たちは霊の実を受け取っていきたいと思います。
神様は、イエス・キリストをこの世に送り、私たち人間との関係を結ぶ道を今共に歩まれているのです。私たちは、この神様の導き、聖霊の導きによって「互いに挑み合ったり、妬み合ったりする」のではなく、隣人と共に生きるための、霊の実をいただき、成長させていただきたいと思うのです。(笠井元)