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2020.11.8 「本当の賢さとは」(全文) 箴言26:1-12

1:  26章に記されている「愚か者」

 今日の聖書の箇所には、2節を除いた1節から12節まで、共通した言葉「愚か者」という言葉が出てきます。今日の箇所では文字どおり、「愚か者」について記してある箴言になっています。今日の説教題は「本当の賢さとは」としましたが、今日は、この箴言26章から、聖書の教える「愚かさ」と「賢さ」について学んでいきたいと思います。

今、私たちは新型コロナウイルスという大きな困難に直面しています。この困難の中で、どのように生きればよいのでしょうか。何が「賢く」何が「愚かな」行動なのでしょうか。この新型コロナウイルスによる問題は、何よりも、これまで誰も体験したことのない問題だということです。つまり、何が正しくて、何が間違っているのか、誰もわからないということなのです。そのような中で、私たちは何をもって判断し、行動するのでしょうか。どこに判断基準を置くのでしょうか。そして、その判断は何のためであり、何を大切にしているのでしょうか。

 幼稚園には、県や国からコロナ対策のためのメールが、毎日のように送ってきますが、その中に、新型コロナウイルスによってすでに起こった差別や中傷の問題が記されていました。人間は困難の中、「自分は賢い」と勘違いをした者が「あなたは愚かだ」としたところから、間違った判断基準を持つとき、「差別や中傷」という傷つけあう行動につながってしまうのです。私たちは、そのような行動をとっていないでしょうか。そして、そのような行動をとらないために、どこに判断基準を置けばよいのでしょうか。

 

 今日の箇所を見てみますと、4節と5節は対になった個所となっています。これはそれぞれ反対のことを語っています。4節では「愚か者にはその無知にふさわしい答えをするな」と語り、5節では「愚か者にはその無知にふさわしい答えをせよ」と語っています。私たちはいったいどうしたらよいのか。これらはいずれも絶対的格言ではありません。つまり、いわゆるTPO、時と、場所と、場合をわきまえて語ること、聞くことが必要だということです。必要なときに必要な格言を用いるためには知恵が必要であることを箴言は語ります。そして12節にまとめの言葉が記されています。ここで語られている「愚か者」とは、勉強ができないとか偏差値が低いとか、そういうことを言っているのではないのです。ここで「愚か者」と言われるのは、時や場所や場合を見極めることのできない者であったり、人に危害を加える者であったりします。そしてそれを12節では「自分を賢者だと思い込んでいる者」、つまり「自分は賢いと思い込んでいる者である」ということになるのです。

 

2:  自分を正当化する者

 今日の個所では、自分を賢い者だと思っている者。それが一番の愚か者だというのです。自分を賢い者だと思っている人とは、自分を正当化しようとする人たちのことだと言うこともできるのです。すでに日本の総理大臣は安倍さんから菅さんへと変わりましたが、安倍さんが総理大臣の時は、「森友問題」、「加計問題」「桜を見る会問題」と、いくつもの問題が噴出しました。現在は、安倍さんから菅さんへと変わりましたが、今は「日本学術会議の任命拒否」という問題が取り上げられています。安倍さんも、菅さんも、このような問題の中で、自分たちを正当化するために、問題の資料は黒塗りにして隠ぺいし、破棄してしまったり、国会の質疑では、自分たちの非を認めることなく、「知らぬ存ぜぬ」と、まったく回答をしないのです。なぜそこまでして、非を非と認めることができずに自分を正当化しようとするのでしょうか。そこには、人の心の思いを見ておられる神様がおられないことが大きな問題として考えられるのです。神がいない。神の存在がない。だから、その場だけ、そこにいる人たちだけを何とかごまかせば、その場さえやり過ごせば何とかなる。 自分を賢い者であると考える愚か者。自分の考え方や行いだけを正当化しようとする愚か者は、神を神として認めていないのです。

 

また、現在はアメリカで大統領選挙が行われていますが、日本でも、テレビをつければアメリカの大統領選挙のニュースばかりです。アメリカでは、2001年9月11日に、ニューヨークのツインタワーに飛行機が突っ込むという同時多発テロ事件が起こりました。アメリカは、そのテロ事件の首謀組織とイラクが繋がっているとし、またイラクには大量破壊兵器があるということから、「世界の平和のため」として、イラクを攻撃し、「イラク戦争」とされる戦争を起こしたのでした。そのときのアメリカの大統領であった、ブッシュ大統領は神様のことや信仰のことを頻繁に口にしたのです。では、ブッシュ大統領は神を信じていた、神を神と認めていたのでしょうか。本人はそう思っていたかもしれませんが、その行動からは、とてもではないですが、キリスト教でいうところの「愛の神」を信じていたとは思えないのです。ブッシュ大統領が神や信仰を語るときは、決まって自分の考えやアメリカの軍事行動を正当化するために使っていました。そんなブッシュ大統領は、自分が集っていた教会からも「神の名をかたって戦争を正当化することをやめよ」と忠告をされたほどでした。これは、神様の存在を認めているのではなく、自分の考え方や行いを正当化させるために神様を利用したということです。つまり、神を神として認めず、自分が神であるとしたということです。こちらは神はいないとするよりも、もっと大きな問題を持っているのです。

 

3:  自分の愚かさを知る

神様の前に立つときに、私たちは自分のやっていること、考えていることがすべて正しいことであると言うことができるでしょうか。本当の賢さとは、神様の前に立ち、自分がいかに愚かであるかということを知ることなのではないでしょうか。自分が賢いと思っているほど愚かなことはないのです。

 

ルカによる福音書18章9節からの箇所には次のように記されています。

【自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」】(ルカ18:9-14

 神様の御前に、自分の賢さを誇るのではなく、自らの愚かさを認めること。そうすることによって初めて、私たちは神様の憐みを知ることができるのです。神様は御子イエス・キリストの命をかけて私たちを愛されたのです。すべての人間が神様に愛されているのです。私たちは、自分が愚かな者であり、弱い者であるということを認め、神様に委ねて生きる道を選び取ることによって、この神様の愛、神様の憐みを受け取ることができるのです。

 

 最初にも話しましたが、今、私たちは新型コロナウイルスという大きな困難の前に立たされています。また、皆さんのうちには、それだけではなく、個人的にはもっと大きな困難に立たされている方もおられるかもしれません。私たちは困難の中、何を基準に行動するのでしょうか。何が本当に賢い者としての判断なのでしょうか。 今日の言葉から学ぶならば、それは、自分は正しい者ではなく愚かな者であると認めること、自分の判断は間違っていないとしないこと、神様の前にへりくだり自分の弱さを認めていくことから始まるのだと思います。それを前提に、私たちが判断していく道。それはイエス・キリストが歩まれたように、神様の前にへりくだり、隣人を愛し、そして弱い者のために生きていくこと、そこに判断基準を置きたいと思うのです。どこまでもへりくだり、神様の前に立ち続けて生きる時、必ず神様が良い道を与えてくださることを信じていきましょう。今ある大きな困難を前に、私たちは「神様、憐れんでください」と、神様に救いを求め、神様に祈り、歩んでいきましょう。(笠井元)