1: 柔和な王の入城
イエス様は子ろばに乗ってエルサレムに入られました。大勢の群衆がイエス様に「ダビデの子にホサナ」と叫んだのです。並行記事となる、マルコやルカでは子ろばを準備することが詳細に記されています。しかし、マタイではそのようなことは記されていません。
今日の箇所の中心は、預言が実現した出来事として、イエス様が子ろばに乗ってエルサレムに入城されたということです。イエス様の入城を、預言者は「柔和な方が来られた」と言いました。
2: イエスに何を求めているのか
群衆は、自分の服を道に敷き、木の枝を敷いて、まさに王を迎える喜びをもってイエス様を迎えました。しかし、この後イエス様を「ダビデの子」と叫んでいた群衆がマタイ27章において「この男を十字架につけろ」と叫んだのです。イエス様の一番弟子、ペトロは16章において「あなたはメシア、生ける神の子です」とイエスを救い主と告白しました。しかし、ペトロもイエス様の十字架の時には逃げ出したのです。群衆、ペトロはイエス様に何を求めていたのでしょうか。そして私たちはイエス様に何を求めているのでしょうか。
3: 柔和な方による救い
「柔和」とは70人訳聖書では、「痛めつけられる」、「みじめである」という意味の言葉が使われています。引用したゼカリヤ書では「柔和」という言葉が「高ぶることない」(ゼカリヤ9:9)となっています。柔和とは、「低くされる」「敬虔な」「傷つけられる者」という意味があります。十字架において殺された方、イエス・キリストこそが「柔和な王」救い主なのです。
4: 主の言葉に従う
前半には何も言わずにイエス様の言葉に従った二人の弟子がいました。この二人の弟子はイエス様の言葉に疑問を持ったかもしれません。しかし、疑問や不安を持ちながらも、ただイエス・キリストの言葉に従ったのです。私たちは、二人の弟子たちのように、ただ柔和の王、十字架のイエス・キリストに従っていきましょう。
イエス様は不安を抱えながらも従う者を、柔和な王として、支え、励まし、歩ませてくださるのです。キリストに従うその道は、十字架の道、柔和な王に従う道です。私たちは、ただひたすら、イエス・キリストの言葉を受け取り、十字架のキリストに従っていきたいと思うのです。(笠井元)