1: 喜びなさい
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」(28)この言葉は岩波訳聖書では「喜びあれ、恵まれたひと、主があなたと共にある」となっています。「喜びなさい!」と天使は語っているのです。それは漠然とした希望ではなく「わたしがあなたと共にいる」という明確な理由の上にあるのです。
2: 今、頂く神のみ言葉
天使の言葉を「いずれ、あなたは身ごもって男の子を産む」と理解すれば、それは単純に「喜び」として理解できるのです。しかし、マリアはそのようには受け取りませんでした。マリアは、「いずれ」ではなく「今この時」に、神様の言葉を受け止めたのです。神様のみ言葉は、今、この時、この場所でいただくのです。
3: 一番小さく弱い者としてこられた方
主イエスはこの世界に来られました。しかし、もしマリアがヨセフから捨てられ、ユダヤの法律によって姦淫の罪に問われて殺されれば、その子は死んでしまうことになるのです。赤ちゃんは母親に命を委ねるしかないのです。神の子イエスは一番小さく弱い者としてこの世界にお生まれになりました。神様は、力ではなく愛で、強さではなく弱さで、威圧ではなく謙虚さで、私たちを治めてくださるのです。ここに神様は「わたしがあなたと共にいる」という言葉を実現されるのです。
4: 主は待っておられる
マリアは「わたしにはできません」と断る権利を持っていたのだと思うのです。マリアは考え、悩み、そして最終的な答えとして、「わたしは、神様あなたのしもべです」と答えたのでしょう。マリアは神様に従う道を選び取ったのでした。このマリアの応答をもって、天使の働きが完了しました。天使はマリアの答えを待っていたのです。神様は、私たちが神様の招きを選び取ることを待っておられるのです。
5: 困難な人生への招き
マリアは、神様の招きに応えていく者として歩き出しました。その道は、この世的に考えればとても困難な道です。神によって身ごもった。それは姦淫を犯したとされ、石打ちによって殺されてもおかしくない道なのです。神様の招きに応える道はとても困難な道です。それでもこのクリスマスの今、この時、私たちは神様の招きに応えて行きましょう。(笠井元)