1: 中身のない信仰
今日の箇所は、福音書唯一のイエス様による否定的な奇跡の記事となっています。今日の箇所の前でイエス様は、神殿で形だけの礼拝をしている人々を見たのです。今日の記事は、神様の前にあって中身のない礼拝をしている人々を、このいちじくの木でたとえられ「中身のない信仰」を表されたのです。
2: 間違った読み方
今日のこの話は、間違えて読むと大変危険な方向に進んでしまう可能性のある記事です。イエス様は「信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」(22)と言いましたが「求めるのなら私たちは何でもできる」ということではありません。イエス様は神の御心を求めたのでした。イエス様は、神様は私たちの思いを超えて働いてくださると教えられているのです。またこの記事から信仰と祈りに差をつけてしまうことがあります。神様は、すべての人間の声を同じように聴き、すべての人間を同じように愛してくださっているのです。
3: 実を結ぶこと
今日の記事は、信仰、祈りに対する励ましの言葉です。イエス様は実を結ぶ者となることを願っておられます。しかし、それは私たちが素晴らしい人間になることではありません。ただ、神様の御心を求めて生きることなのです。私たちはイエス・キリストにつながることによって実を結ぶ者とされるのです。イエス・キリストによる愛を受け取ること、そしてそこに留まることによって私たちは実を結ぶ者とされるのです。
4: 神様の御心を求めて祈る
イエス様は命を滅ぼすことが出来ると同時に命を生かすことも出来る方です。イエス・キリストは、この木を枯らし、そこから葉をつけ実をならせることができる方なのです。同じように、罪にある人間にもう一度命を与えることができる。そのために自らの命をかけて歩まれたのです。
私たちは神様に何を祈っても、叫ぶことも許されている。ただ、私たちは祈りのうちに神様の御心を求めていきたいと思うのです。神様は、私たちの思いを超えて、私たちの祈りを超えて働いてくださいます。神様の働きに期待していきましょう。(笠井元)