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2021.1.13 「苦難を通してなされた神の御業」 使徒言行録25:1-12

1.フェストゥスの態度

 フェストゥスは総督として就任して、まずユダヤの中心的な人々に会うためにカイサリアからエルサレムへと上っていったのです。フェストゥスはユダヤの指導者との関係を大切にしたのです。そのような総督フェストゥスに、祭司長たちは、パウロをエルサレムに送るようにお願いしたのです。総督フェストスはここではこのユダヤの人々のお願いを断るのです。パウロに対する訴えは、すでに総督フェリクスにおいてなされました。これを何の理由もなくユダヤの裁判に受け渡すことはできないのです。しかし、その変わりに、ユダヤの人々の意見をくみ取る形で5節において「だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよいではないか」(5)と答えたのです。フェストゥスはユダヤ人たちの指導者との関係の悪化を恐れたのでしょう。このフェストゥスの態度は自分の地位を守るための態度なのです。

 

2.判断基準

権威を持つ者が自分の権威、地位を守るための判断することは、一番してはいけないことであり、一番してしまうことです。私たちの判断基準はどこにあるのでしょうか。イエス様は「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」(マタイ6:33)。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」「隣人を自分のように愛しなさい。」(マタイ22:3739)と言われました。これが私たちに教えられている判断基準となるではないでしょうか。その上で「どうすることが、神の国と神の義を求めることになるのか」考えさせられます。

 

3.神様の御業の成就

フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。」(9)と尋ねるのです。エルサレムに行くことは、不正な裁判によって殺される道でした。不正な裁き。間違った判断。これは人間の罪の姿の一つです。神様による正しい裁きは大きな恵みなのです。

 パウロは皇帝に上訴し、フェストゥスと陪審の人々は認めたのでした。このことによって、パウロはローマに行くことになったのです。これにより神様の言葉が成就していくこととなったのです。

 これまでのパウロの道はまさに苦しみの連続です。しかし、ここに神様の御業が成就するのです。これはまさに神様の御業、御心が人間の思いを超えて働かれていることを見るのです。

 

わたしたちにも苦しいこと、理解できないことが連続して続くことがあります。しかし、私たちは、それらを通して、神様が働いてくださること、その先に「神の御国が来られる」ことを信じていきたいと思うのです。(笠井元)