1: 口語訳聖書と新共同訳聖書の違い
この箇所は口語訳と新共同訳では大きな違いがあります。新共同訳では父の言葉に対して兄が「いやです」と答えながらも心を入れ替えて出かけていき、弟は「承知しました」と答えながら出かけなかったのです。それに対して、口語訳では、兄が「承知しました」と言いながら行わず、弟が「いやです」と答えながら心を入れ替え出かけて行。
2: 人間は完全ではない
一番良いのは最初から「承知しました」と答え出かけていくことでしょう。しかし、ここでは「はい」と答えた者は行わず、「いいえ」と答えた者が心を入れ替えて行ったのです。人間に完全な者はいないのです。すべての人間には良いところも悪いところもあります。欠け、弱さ、個性、違いを神様から与えられているのです。
イエス様は祭司長、民の長老たちのことを、「承知しました」と言いながらも、従って行わなかった者としています。祭司長たちは律法を守ることで自分は正しく生きていると信じていたのでした。そして考え直すことをしなかったのです。私たちは日々、考え直し、悔い改め新しくされる。そこに本当の信仰が始まるのです。
3: 人間が求める新しさ
私たちが生きるこの社会も同じように、日々新しくなろうとしています。パソコンを使っていると、時々アップデートのデータが送ってきます。社会では科学技術、医療、経済、教育も日々進化しようとしているのです。良く言えば、より良く生きるためかもしれません。しかし最終的に求めているものは何なのでしょうか。その究極的目標は完全な者となること。自分が神様となることです。
4: 悔い改めることを
イエス様は、人間が完全になることではなく、悔い改めることを求められているのです。考え直すこと、悔い改めることは、とても勇気と力がいることです。私たちは神様に出会い、イエス・キリストの愛を知るときに、悔い改める勇気と力をいただくのです。私たちは、完全な者となることではなく、神様に愛されている者として自分の弱さを認め、日々悔い改め、神様に従う道を選び取っていきましょう。(笠井元)