1: イエスへの罠
人々はイエス様に「皇帝に税金を納めることは律法に適っているか、律法に適っていないのか」と尋ねたのです。この問いは、ファリサイ派の人々が考えに考えて出した、イエス様への「罠」でした。イエス様が「ローマに納税することは律法に適っていない。」と言えば、それはヘロデ派の人々、そしてローマ帝国に反する考えを持つ危険人物となってしまい、ローマ帝国によって捕らえられることとなります。「ローマに納税することは律法に適っている」と言えば、ファリサイ派の人々、また多くのユダヤの民の思いを裏切ることになってしまうのです。この時イエス様は、ローマ帝国とユダヤの民のどちらを選ぶかが問われていたのです。
2: イエスの答え
「ローマ帝国という権力とユダヤの民の思い、どちらを選びますか」と問われている罠に対して、イエス様は「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えました。当時の社会はローマ帝国によって支配されていました。イエス様は、そのようなこの世の権威ではなく、神様に従うことを教えられているのです。
ローマ書13章では「神に由来しない権威はない」と教えます。しかし現実はむしろ「神様に由来する権威はない」と思えるのです。ここから教会としての私たちの使命を教えられます。つまり、私たちはこの世の権威が神に由来するものとなるために働き続けなければならないということです。神様の愛を伝えるということは、この世の権威、社会が、神様の御心に従うように生きることにつながっているのです。
3: 神に造られた者として生きる
イエス様は「神のものは神に返しなさい」と言われました。神様のものとして、私たちがお返しする一番中心にあるのは、私たち自身です。私たちは、神様にかたどり、神様の似姿として創造されました。神様の愛を受け、神様にその愛をお返しする者として造られたのです。
神様にすべてをお返しする道を完全に生きた方はイエス・キリストです。私たちは、この世のどのような権威、圧力にも支配されることなく、神様に造られた者として、神様に自らをお返しする者として生きていきましょう。(笠井元)