1. 前回までのあらすじ
前回27:1-20を読みました。1節ではパウロが囚人としてイタリア・ローマに送られたことが記されています。ここからパウロの船旅が始まります。14節にあるように、「エウラキロン」と呼ばれる暴風が吹き降ろしてきて、パウロ一行は嵐に襲われました。そして18節からあるように、人々は積み荷を海に捨て始め、船具も投げ捨て、ついに助かる望みも消えうせようとしていたのです。人びとは助かる望み、希望を失いかけていたのです。
2. パウロの励まし 21-26
そのような中、パウロのところに神様からの天使が来て、励ましてくださったのです。パウロは神様の励ましによって、絶望する者から、希望を持つ者としての力を受け取ったのでした。神様から希望をいただいたパウロは、人々の中に立ち励まし始めました。パウロは神様に励まされることによって、隣の人を励ます者とされていったのです。
私たちは、神様から頂いた励ましをもって隣人を励まし、神様から頂いた愛で隣人を愛するのです。私たちが神様からの恵みを忘れてしまうとき、心は枯渇していきます。私たちは、尽きることのない神様の愛、希望を頂きたいと思います。
3. 錨をおろす 希望と恐れ 27~
27節から、船員はどこかの陸地に近づいてきていることを感じ始めました。船員は船が暗礁に乗り上げることを恐れて、夜の明けるのを待ちました。ここにはどこか陸地につくことができるという希望と、暗礁に乗り上げてしまうのではないかという恐れがありました。
恐れの中で、まず船員は夜が明けるの待ったのです。私たちが自分の人生として見るならば、恐れと希望の中で、パウロの励まし、神様による希望を信じて錨を降ろして、闇が明けるのを待つ姿として見ることができます。
しかし、船員たちは、今度は錨を降ろすふりをして小舟を海に降ろして逃げ出そうとしたのでした。これは恐れの中で、闇の中に飛び込んでいく姿として見ることができます。恐れに飲み込まれ自分たちだけでも助かろうとした姿です。
恐れや危険の中にあるとき私たちは多くの誘惑にさらされます。闇の中にあって神様による希望を信じて、待つこと、闇が光とされることを信じて待つことを覚えたいと思います。
4. 嵐の中での食事 33~
夜が明けてから、パウロは一同に食事をするように勧めました。これは待つ者と、逃げ出そうとした者と、分裂してしまった船員たちを、もう一度一つにしたとも考えられています。そしてパウロは「髪の毛一本もなくなることはない。」と神様の守りがあることを語りました。
パウロは感謝の祈りをささげて、それを裂き、食べ始めたのでした。この行為は、主の晩餐を思い起こす行為で、イエス・キリストの十字架と復活を思い起こす行為です。この行為を通して人々は十字架と復活の神様に触れたのです。
今、私たちがここで礼拝を持ち、共に祈っていることは、神様の御心であり、神様の御業によるものです。わたしたちはどのような困難にあっても、主が共にいて励ましてくださっていることを覚えたいと思います。
そして最終的に44節において、276人、全員が無事に上陸したのです。神様のみ言葉が成就されたのです。私たちも神様のみ言葉は必ず実現するということを信じて歩んでいきたいと思います。(笠井元)