他の教派は3年サイクルで聖書日課(レクショナリー)作成しています。ある年のイースター礼拝後第二主日に選ばれているのが、ヨハネ20:19-31です。少し長いので23節で切りました。
1. いのちの息を吹き込む
死者の中から引き上げられた主イエス様は、鍵をかけて閉じこもっていた弟子たちの処に来られて「彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい』」と言われます。人は、大気から酸素を取り入れ、二酸化炭素を吐き出す。人が吐き出した二酸化炭素を植物が吸って、酸素を出す、この世界は旨い仕組みになっています。また、息を吐かないと、吸えないのです。私たちは神の息による呼吸をしているでしょうか。イエス様からいのちの分かち合いを受けていまか。
2. 復活信仰と使命
続けてイエス様は言われます。「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」(20:21b)。復活のいのちと喜びは父なる神とみ子の交わりから派遣される、他者といのちを分かち合う「使命」と結び付けられています。わたしたちが、自分の命を生き生きと生きることは、他者との関係に生きることによるのです。
3. 使命とは、互いに赦し合うこと
その使命、派遣とは、兄弟姉妹を赦し、受け留めてあげることです。ここで罪とは、複数形ですから、何か不都合な具体的な違反行為を意味しています。人はパウロが言うように、神との深い断絶、裂け目のような「罪」(単数形)を生きていますが、私たちを傷つけ、傷つけられるのは、その深い裂け目、不安から湧き出て来る、具体的なあれやこれやの諸問題なのでしょう。それらが赦せんと言って怒ったり、がっかりしたりしているわけです。このような弟子たち、私たちに、「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」と言われています。
4. 互いに愛し合うこと:老ヨハネの言葉
よぼよぼになったヨハネは両脇を弟子に支えられてエフェソ教会の主日礼拝にくると、とぼとぼと講壇に上がり、ひと言、「兄弟たちよ、互いに愛し合いなさい」と語ったそうです。毎週ヨハネは講壇に招かれ、同じように。「兄弟たち姉妹たち、互いに愛し合いなさい」と死ぬまで繰り返したそうです。たぶんこれは伝説です。しかし、私は素晴らしい伝説であると思います。(松見 俊)