1.神様に守られている
パウロたちはローマへと向かいました。しかし、その船旅は順調ではなく、嵐に襲われ、人々は希望を失っていきました。そのような中、パウロのもとに天使がきてパウロを励まし、パウロは人々を励ましたのです。そして、船はマルタ島に到着しました。マルタ島の人々はパウロたちに大変親切にしました。マルタ島の住民にとらえられ、殺される可能性もありました。マルタ島の人々の行為は、パウロのローマへの旅が神様の御守りの中にあることを見ることができるのです。
2.パウロを神様とする
マルタ島の人々はパウロたちにとても親切でした。たき火にパウロが一束の枯れ枝をくべると、一匹の蝮がでてきてパウロに絡みついたのです。この「絡みついた」とは、口語訳・岩波聖書では「手にかみついた」となっており、新改訳では「手に取りついた」となっています。蝮はパウロにただ絡みついただけではなく、かみついたのでした。この状況を見て、マルタ島の人々は「この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、『正義の女神』はこの人を生かしておかないのだ。」(28:4)と言ったのでした。しかし、パウロには何も起こりません。このことを見た人々は、今度はパウロを神としたのです。
3.何を神としているか。
私たちは、何を神としているでしょうか。現代では、蝮に咬まれても、病院に行き、きちんとした治療を受ければ癒されます。また、天気を予想し、旅行、船旅から危険を取り除く確率もパウロの時とはくらべものにならないほど上がっています。パウロが癒したように、熱病と下痢という肉体的な病気を癒すこともできるのです。
現代は、自分たちが神様のように世界を支配しているように勘違いしてしまうことがあります。今、世界中に新型コロナウイルスが感染拡大しています。このことから私たちは人間の無力さを教えられます。無力である。これが人間の本当の姿です。
4.神様に守られている者として
神様はパウロを愛し、パウロを神とするマルタ島の人々をいやし、愛されました。それは、無力な人間を愛する神様の愛、神様の御業なのです。神様はイエス・キリストの死と復活を通して、すべての人間を守り、すべての人間の神となられているのです。私たちはこの神様の福音をいただきたいと思います。そして神様に従う者として、神様の愛を表す歩みをしていきましょう。
(笠井元)