1. Ⅰコリントの信徒への手紙
コリントの信徒への手紙の著者はパウロです。5:9にあるように、パウロはこの手紙の前に、もう一つの手紙を書いていました。1節においてソステネという人が出てきますが、この人は、使徒言行録18:17に会堂長として出てくる人だと考えられています。パウロがソステネを手紙の共同発信者としたということは、このソステネという人が、コリントの教会に影響を持つ人であったと考えられています。
使徒言行録に基づいて考えると、パウロは、二回目の伝道旅行中にコリントに行きました。使徒言行録18章では、パウロはアキラとプリスキラに会い、そこに1年6ヶ月間滞在したと考えられています。またⅠコリント16:8から見ると、この手紙はエフェソで紀元54年か55年に記されたものとされます。
Ⅰコリントの信徒への手紙では3:6、4:15にあるように、パウロはコリントの教会の設立において決定的な役割を果たしたとされます。コリントの教会については、手紙や訪問者を通してパウロに伝えられていました。(Ⅰコリント1:11、5:1、7:1)パウロは、コリントの教会にあったいくつかの問題、分裂、男女関係、偶像に備えられた肉、霊的な賜物、献金などについて助言を与え、問題、間違いから引き戻すために説得しているのです。
2. 教会は神のもの
パウロは手紙の書き出し、1-3においてキリスト・イエス、イエス・キリストと5回言います。手紙の書きだしで、これだけイエス・キリストの名前を使っているということは、まずイエス・キリストこそが自分たちの中心におられることを語っているのです。
パウロはガラテヤ書の書き出しでは「あきれ果てている」(ガラテヤ1:6)と言いました。しかし、コリントの教会の問題を聞くときには、ショックがあったというよりも、「やはりそうなったか」と受け止めていたと考えられています。
コリントは、貿易、商業の要地で、文化的にも、民族的にも、宗教的にも多様性があり、種々雑多な人々が住み、成功を求める上昇志向の人々が多く、富を求める人が多かった。そのため規律やモラルは乱れ、貧富の差も大きかったとされています。パウロは、コリントの教会で起こる問題を、ある程度想定できていたのでしょう。
パウロは「コリントにある神の教会へ」(Ⅰコリント1:2)と言います。コリントの教会は、パウロでも、アポロでも、コリントの教会の人々でもなく、神様のものであることを教えているのです。コリントの教会において起こっていた一つの問題は、その主導権の争いでした。「教会はだれのものか」「教会はだれの言うことを聞くべきなのか」と争っていたのです。それに対して、パウロは「教会は神のものである」ことを教えたのです。
3. 聖なる人々
続けて2節では「至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。」(2)と言います。
「すべての人と共に」。コリントの人々は、自分たちの知恵や力を誇示し、自分たちはより優れた者であると考え、ほかの地域とは違う独自の路線を歩もうとしていたのです。そのようなコリントの教会に、パウロは「あなたがたはイエス・キリストを主とするすべての人と変わらない」ことを教えているのです。
またパウロはコリントの人々を「聖なる者とされた人々」と言いました。分裂など問題の多かった、コリントの教会の実情を見るならば、決して「聖なる者」と言うことができるような状況ではなかったと考えられます。しかし「イエス・キリストによって召された者」として、あなたがたは「聖なる者」であると教えます。それはコリントの教会の人々の努力や功績、逆に罪や失敗によってではなく、ただイエス・キリストに召されて、神様の恵みによって、イエス・キリストにつながる者としてのみ、人は「聖なる者」とされるということを教えたのです。
4. 挨拶 父である神と主イエス・キリストからの
パウロは3節で「父である神と主イエス・キリスト」に基づく「恵み」と「平和」があるようにと挨拶したのです。
パウロの挨拶は、テサロニケの手紙第一では「恵みと平和が、あなたがたにあるように。」となっていたのですが、テサロニケの手紙第二では、「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの」という言葉が付け加え、Ⅰコリントの信徒への手紙でもおなじように、「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの」という言葉を付け加えているのです。
パウロは、それまでも、もちろん神様からの恵みと平和があるようにと考えていたと思うのですが、この言葉をわざわざつけるようになったことは、この恵みと平和は「父なる神と主イエス・キリストから」のものであると、より一層感じていたということだと思います。
挨拶のただの一言ですが、その一言一言に意味があることを覚え、聖書の一言一言を大切にみていきたいと思います。(笠井元)