1: ダビデの子メシア
イエス様は「メシア、救い主は誰の子だろうか」と問われました。ファリサイ派の人々は「ダビデの子です」と答えました。当時ローマ帝国に支配されていたユダヤの人々は、新しくイスラエル王国を再建し、その栄光と繁栄をもう一度もたらす王として、メシアをダビデの子と考えていたのです。
2: メシアに求める救い
イエス様は「メシアとは誰の子か」と問われました。それはあなたが求める「救い主」とは一体どのような人なのか、あなたにとっての「救い」とは、何を意味しているのかを問われているのです。
皆さんは、どのような救いを求めているでしょうか。
私たちの生きる社会では、良い大学に行って、良い仕事をして、お金を稼いで、良い家に住んでいく・・・と、自分の名誉、権威、財産を求めて生きているのです。この人間の願いのいきつくところは「自分が神様になる」ことなのではないでしょうか。
3: 神の子 イエス
人々はメシアをダビデの子とすることで、メシアを限界づけてしまっていたのです。イエス様は「ダビデはあくまでも人間であり、本当の救い主はそのような小さな者ではない。神様の与える救いは、そのような何かに限界づけられたものではない」と教えられているのです。
イエス様は神様の子ども、つまり神様と正しい関係を持つ者なのです。神の子は、神様の愛を正しく表すことが出来る方なのです。イエス・キリストは神の子としてこの世に来られ、その命の最後まで神様に従い続けられ、この世に神様の愛を示されたのです。
4: イエスをキリスト救い主とする
私たちはいったい誰を自分の主人として生きているでしょうか。私たちはイエスを自らのキリスト、救い主として生きていきたいと思うのです。
人間は、それぞれに生きる価値観、判断基準を持っています。それがその人の主人となっているのです。私たちはどのような生き方をしようとしているでしょうか。皆さんは何を一番大切にして生きているでしょうか。聖書は、神様の愛に生きた方、イエスをキリスト、私たちの主人とすることを教えているのです。(笠井元)