1. コリントの教会の置かれた状況
コリントの町は、東西南北をつなぐ商業上の重要都市として繁栄した町でした。歴史は古く、古代ギリシアの都市として繁栄していました、当時は、アフロディーテというギリシア神話の女神の神殿が造られ、そこには何千人もの神殿娼婦がいたとされ、不道徳に生きることが「コリント風」に生きると表現されたほどでした。しかし、紀元前146年にローマ帝国によって、コリントは一度滅ぼされたのです。パウロが訪ねたコリントとは、ローマに植民都市として再建された町で、神殿などの影響力はすでに失われていたのです。
しかし、貿易、商業の要地であったことは変わっていませんでした。ビジネス中心の国際都市であり、種々雑多な人々が住み、成功を求める上昇志向の人々が多く、規律やモラルは乱れ、貧富の差も大きかったのです。これが、コリントの教会を取り囲む社会でした。
2. コリントの教会のメンバー
コリントの教会のメンバーの多くは異邦人改宗者であったとされます。当時のコリントには、教会員全員が集まるような建物はなかったと考えられ、比較的裕福な有力メンバーの家でいくつかに分かれて集会を持っていたと考えられています。それぞれの集会に分かれていたことが、分裂を招く原因の一つとなったとされています。コリントの教会は経済的に裕福な人、文化的に地位の高い人も含まれていたのですが、1:26にあるように、基本的には社会的地位の低かった人が多くいたと考えられています。
3. 感謝
パウロは10節以降はコリントの教会にある問題に対して語っていきます。ここではその前に、まず4節~9節において「感謝」をするのです。あらゆる問題を解決するためには「感謝」に立ち返ることが解決の一歩となります。
4. 言葉と知識
5節~7節にあるように、コリントの教会には豊かな賜物として「言葉」と「知識」が与えられていました。しかし同時に、「言葉」と「知識」が問題を引き起こしていたともされます。その一つとして、14章では、「預言と異言」の問題について語られています。パウロは賜物としていただいている言葉を感謝していただくこと、そしてそれが教会、交わりのためになるためになるように教えているのです。
また、同じように知識も賜物として与えられていることを教えているのです。8章では、知識は人間を高ぶらせることがあることを教えます。実際コリントの教会の人々は、自分の知識によって、自分は偉いと考えるようになっていました。パウロはだから知識という賜物を受け取ることに気を付けなければならないと教えます。ただ同時に、この「知識」を与えられていることを感謝していただき、「愛」による配慮することを教えているのです。
そして、5~6において言葉や知識は、イエス・キリストを証しするための賜物だと教えるのです。
5. 終末(7-8)
当時の教会は、イエス・キリストの再臨を待ち望んでいました。しかし、イエス・キリストはなかなか来られないのです。その中で、「イエス・キリストはいつ来られるのか。何をしているのだろうか」という疑問が生まれてきていました。8節に「非のうちどころのない者にしてくださる」とありますが、今は備えの時が続いているとするのです。
当時のコリントの教会は、多くの問題を抱えていました。そのような人々にパウロは「耐えられない試練はなく、逃れる道をも備えていてくださる」(使徒言行録10:13)と教えました。神様は、現在から終末の間において、私たちを守り備えの時としてくださるのです。
6. 交わりへの招き(9)
最後に、9節において、私たちが主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたことを語ります。私たちはイエス・キリストとの交わりに招かれているのです。コリントの教会には多くの問題がありました。しかし、そのような問題に満ちた教会も、神様に招き入れられた人々の集まりなのです。私たちは自分の成功や失敗にかかわりなく、神様に召されていることとして教会に集められていることを覚えたいと思うのです。(笠井元)