1: 幸せと不幸せ
イエス様は律法学者たちとファリサイ派の人々に対して「あなたたち偽善者は不幸だ」と7つの不幸のことを語られたのでした。今日は、最初の4つから見ていきたいと思います。皆さんにとって「幸せ」、「不幸せ」とはどのようなことを意味しているでしょうか。この世においての幸せとは、「運がよいこと」「その人にとって望ましいこと」「不満がないこと」これが、この世の幸せであり、そうでないことが不幸せとされています。
2: 自分の力で神の恵みを手に入れる
ファリサイ派の人々、律法学者たちは神様に与えられた律法を守る人々でした。律法を守ることは神様の恵みに対する応答です。しかしファリサイ派、律法学者の人々は、律法を守ることで神様からの幸せを頂こうとしたのです。
3: 神様を忘れて律法を守っている者
イエス様は16節から「誓い」について語ります。ユダヤ教では、「神」という言葉を語ることを避けて、神様を表す言葉として「天」「神殿」「祭壇」という言葉を使ったのでした。ここでは神様よりも、黄金や供え物に目を向けてしまっていることを意味しているのです。ファリサイ派の人々、律法学者たちは、細かく厳密に律法を守ろうとしていました。しかし、人々は、その本質である神の「正義」「慈悲」「誠実」を忘れてしまっていたのです。
4: 偽善者 神様を畏れない者
イエス様は、ファリサイ派の人々、律法学者たちを偽善者と言いました。偽善者とは、他者からどのように思われるかばかりを考えている者を意味します。つまり、それは神様を畏れていないということでした。ファリサイ派の人々、律法学者たちの最大の間違いは、神を畏れていないことでした。イエス様はそのような者を「偽善者」と呼び、そのような者は「不幸だ」と言われたのです。
5: 本当の幸せ
イエス様が教える「幸せ」とは、どのような時も、神様が私たちを愛してくださっているということを覚えていることです。神様は御子イエス・キリストの死を通して、私たちに愛を示されました。神様の愛は、何があろうとも、どのような状況にあったとしても、変わることはありません。
今、世界中に新型コロナウイルスが蔓延し、不安と恐怖に襲われています。このような時だからこそ、私たちは自分が何を求めているのか、何をもって幸せとするのか、何よりも、自分は何のために生きているのか考えてみましょう。(笠井元)