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2021.6.27 「神様に献げる人生」(全文) ローマの信徒への手紙12:1-8

1:  すべての者が献身者

 今日から神学校週間となります。今年度は私たちの教会には研修神学生はこられていませんが、教会として神学校を支えること、祈ることの大切さを共に覚えましょう。バプテストには、西南学院大学神学部、九州バプテスト神学校、東京バプテスト神学校として三つの神学校があります。現在、西南学院大学の神学生は9名、九州バプテスト神学校の神学生は7名、東京バプテスト神学校は5名となっています。

神学生の人数は減少していますが、これは最近のことではなく、私が神学生であった15年以上も前も同じことが言われていました。またこのように神学生が減っているということは、バプテストの神学校だけのことではなく、私が卒業した東京基督教大学、または日本キリスト教団の東京神学大学、そのほかにもルーテル教会の神学校等、すべての神学校での悩みとなっています。是非、皆さん、神様の御業を担うための働き手が与えられますように、お祈りしましょう。

 

 さて、今日の聖書では、このように語ります。【こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。】(ローマ12:1)ここでは、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」と言われます。これは、自分を神様に献げることを求める言葉であり、一言で言えば、「献身」を意味します。献身とは、牧師や宣教師だけではなく、すべてのキリスト者、すべての人間に語られている言葉なのです。

神様は私たちすべての人間を愛されています。だからこそ、神様は、すべての人間が、その愛を感じて、満たされて生きることを願っておられるのです。キリスト者、クリスチャンとは、「イエスを主」と告白し、神様の愛に生きることを決断した者です。つまり、クリスチャンは、皆さん、「献身」することを決心をした人なのです。バプテスマを受けるとき、「イエスを自らの主」と告白し、同時に、聖書の言葉を大切にすること、礼拝を守ること、献金をすること、祈ることを決心したのです。これらは、神様の愛を受けた者として生きるためのもの、それこそ、救われるために礼拝をするのではなく、すでに救われている者として、神様の愛に生きることを受け取った者としての生き方です。私たちは、私たちのために、命をかけて死に、新しい命を造られた、イエス・キリストを自らの主として生きること、神様にすべてを献げ、神様に従い生きる。その道を選び取ったのです。そのような意味で、私たちは牧師や宣教師という職業の問題ではなく、クリスチャンとなった時に、神様の前に献身者とされているのです。

 今日は神学校週間ですが、私たちが神学校を覚えること、神学生を支えることは、特別に神様に選び出された者を支えるということではなく、私たちと同じように、献身することを決めた兄弟姉妹で、そしてその中で、職業として、神様のみ言葉を伝えることを選び取った兄弟姉妹を支えるということです。

 

2:  証

私が教会に就任してから、神学校週間では、研修神学生に説教をお願いしていました。そのため、今回は、この教会では、初めて、神学校週間のアピールも含めて、私が説教をすることになります。 そのため、どのような説教にするべきか、いろいろと考えたのですが、その中で、自分が神学生だった時のことを思い出してみました。今日は、その中でのいくつかの証しをさせていただきたいと思います。

 

私は高校卒業後、牧師になるために東京基督教大学、略としてTCUと呼ばれる大学に進学しました。TCUで、最初に言われたのはこのような言葉でした。「神学校では、いくつもの躓きがあります。TCUでは1年目は人に躓き、2年目は神に躓き、3年目は神学に躓くと言われています。これらの躓きを通して成長してください。」そして、私はこの言葉の通り、見事に「人」に躓き、「神」に躓き、「神学」に躓くという道を歩みました。TCUはすべての学生がクリスチャンで、そのすべての学生が寮生活をするという、一般社会からは隔離された別世界のようなところでした。 

朝はまず早天祈祷会から始まり、毎日礼拝がありました。礼拝では、最終学年の人は説教をし、それ以外の人は証をする時もありました。昼食後の休憩では、多くの人が賛美の練習、聖書朗読、奉仕の準備をします。毎日が同じルーティンで、同じ空間で、同じ人たちで、キリスト教漬けの生活でした。

そのような中で、まず起こったのは、生活感の違いによる、寮内でのもめごとです。例えばですが、早天祈祷の前に、もっと早く祈祷会を持とうと言い出す人もいました。反対に、もっと夜にも、みんなで神学について話し合いの時を持とうとする人もいます。もともと生活のリズムがそれぞれ違うのです。これまで全く違う生活のところから人が集まるのですから、当然なのですが・・・そのようなことから様々な問題が起こりました。

 そして、まず「人」に躓くのです。クリスチャンなんだから・・・献身した者なんだから・・・という思いから、「なんであなたはお祈りをしないのか」「聖書を読まないのか」と、お互いの信仰を裁いてしまうようになるのです。

 わたしは、1年、2年のときは一生懸命勉強しました。ただ、その理由には、もちろん神様がわかりたいという思いもありましたが、同時に周りの人には負けたくないという思いも強かったと思います。そして、もっともっと勉強をしようとした3年生の時、人に躓き、神様に躓き、そして神学に躓き、あまり大きな声では言えませんが、学校からも、寮からも、そして教会からも逃げ出してしまいました。

 理由はたくさんありました。クリスチャンであるはずの学生同士の喧嘩や、学校の先生の信仰への不信感などもありました。その中でも私が一番理解できなくなったことは、神様の愛、そのものです。もともと私はてんかんという持病を持っていましたので、授業中に倒れてしまうことが何度か続きました。自分は神様のために勉強をしているのに・・・それが許されない。神様のために働くことが許されないと感じることから、神様への道が閉ざされた、神様に見捨てられたと思うようになったのでした。

 

 私は、1、2年の時に頑張った分、3年生が終わった時点で、卒業に必要な単位はほとんど取得していましたので、3年生の途中で、学校からも、教会からも逃げ出し、まるで放蕩息子のようにフラフラとしていたのです。このときに、色々なことをしました。ただ、何をしても、何もわかりませんでした。感じたこと、残ったものは、虚しさだけです。このままでは一生神様のことがわかることはないだろうと思い、それこそ、最後の決断として、すべてをかけて、もう一度教会に行くことを決心しました。私にとって、まったく理解できないし、受け入れられないなかで、それでも教会に行こうとしたこと、行き続けようと決心したことは、私の一つの人生の分かれ目でもあったと思います。 

教会に帰ってみると、教会ではずっと、皆さんが、私のため、私が元気でいるため、私の体が守られるように、信仰が守られるようにと、祈ってくださっていたのです。このことは私にとって大きな驚きでした。「なんでこんな自分のためにお祈りしているのだろうか」「教会から逃げ出した人を覚えて祈っているのか・・・」。この驚きは喜びとなり、またこの祈りがあったからこそ、神様のもとに、教会に戻ることができたのだということを教えられたのでした。

 

 このような祈りに支えられ、もう一度神様のことを学ぶために、西南学院大学の神学部に進学をすることになりました。西南大学での学生生活は、連盟の全国壮年会を中心とした、連盟諸教会の方々の祈りと献金によって、支えられました。それこそ、今日から始まっている神学校週間で集めていただいた献金によって、奨学金としていただき、学費をまかなっていただいたのです。この多くの方々の祈りと献金に支えられて、私は牧師になることができ、そして今も、皆さんの祈りによって、牧師として続けられているのです。

 

3:  あなたは何をもって神に仕えるのか

 今日の聖書ではこのように言います。

【わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。】(ローマ12:4-8

神学生は、皆さんの祈りと献金によって支えられて、神様に働くために学びを続けています。そして、私も含めすべての牧師は、皆さんの祈りと献金に支えられて、今があるのです。今、神学生は減少しています。このような時だからこそ、皆さんにはお祈りと献金をお願いしたいと思います。

皆さんは何をもって、神様に仕えようと思っているでしょうか。どのような献身の形を考えておられるでしょうか。是非一度考えてみてください。そして、今私たちができることとして、共に神学生のために祈り、献金をしていきましょう。「イエスを主」とした者として、献身の道を選びとった者として、自分のできること、自分のするべき献身の形を考え、神様の愛を表していきましょう。(笠井元)