1: 分裂
コリントの教会には分裂がありました。それぞれ、自分たちの方が知恵ある者として分裂したのです。1:18からは、そのようなコリントの教会に、「神の力、神の知恵である十字架のキリストを誇れ」と言います。もともとコリントの教会は、キリストの十字架によって一つとされた者たちだったでしょう。しかし、そこに多くの誘惑があったのです。一番大きな誘惑として、神様を忘れ、自分たちの知恵に立つということでした。
2: 十字架を語るパウロ
パウロは「わたしも」(2:1)と言いました。1:26以降において「あなたがたは、人間的に見て知恵のある者でも、能力のある者でも、家柄のよいものが多かったわけではない。神様は世の無に等しい者たちを選んだ」と言いました。そして同様に、「わたしも」無力であると言ったのです。 パウロは人間としての自分の知恵や雄弁さを用いて十字架を語りませんでした。霊によって十字架を語ったのです。神の力によって、人々が十字架を信じるようになるためです。
3: 無力なパウロ
パウロは「わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。」(2:3)と告白します。コリントの伝道の前、パウロはアテネで伝道をしました。(使徒言行録17章)パウロはアテネの人々が福音を理解ができるように、知恵を使い、巧みな言葉を用いて語ったのです。しかし、復活について語った時に、アテネの人々はあざ笑い去っていったのでした。(使徒言行録17:32-33)コリントにやってきた時、パウロは自分の無力さを思い知らされていました。
知恵を用いて語ることは、伝道をする中では必要なことです。しかし、人間の知恵、巧みな言葉だけでは、他者の心の内までを変えられることはできないのです。心が変えられるとき、そこには必ず神様の働き、聖霊の導きがあります。
神様はそのようなパウロに「恐れるな、語り続けよ、黙っているな。わたしがあなたと共にいる。」(使徒言行録18:9-10)と教えられたのです。
4: 十字架と復活を語る決断
パウロは「自分は十字架につけられたキリスト以外は何も知るまいと心に決めていた」(2:2)。そして「わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であ」(2:7)るとも語りました。パウロはⅠコリント15:51で「神秘」は「復活」のこととして語ります。
アテネで、パウロはこの「復活」を語り失敗をしました。ユダヤ人には躓きであり、ギリシア人には愚かなものとされる神の神秘。イエス・キリストの十字架と復活です。この十字架と復活をパウロは語ると心に決めていた。それが、パウロが選び取った伝道の道です。
5: 十字架の言葉による一致
十字架と復活のイエス・キリストこそが、人間の知恵によって分裂した教会が、今一度、一致するための神の御言葉です。人間の弱さ、愚かさの中にこそ、イエス・キリストは来てくださり、自ら弱い者、愚かな者となって下さったのです。このイエス・キリストを主とするところに一致が与えられるのです。(笠井元)