1: 神殿の崩壊を予告する
神殿の境内を出ていくイエス様に弟子たちが近づいてきて、神殿の建物を指さしました。イエス様は弟子たちに「この神殿も崩れ去るときがくる」ということを教えられました。私たちは荘厳で感動的なものを見るときに、自分たちを超えた力が働いたのでないか、神様がおられるのではないかと思うことがあります。イエス様は、いつまでも続くような荘厳な神殿も、どれほど素晴らしいものもいつかは崩壊する、人間の有限性、同時に神様の無限性を教えられているのです。
2: 世の終わり
イエス様は、この世の終わりの前兆を語られました。この世の終わりの前には、多くの苦しみ、闇の出来事が起こることを教えます。しかし、闇の出来事、恐怖、不安は、世の終わりの前兆であり、この世の終わりではないのです。終わりの時は、神様の愛の完成の時です。私たちが苦しみの中にあったとしても、どれほど闇の中に堕ちていようとも、それは終わりではない。苦難の時から救いは始まっている、必ず神様は、愛で引き上げてくださる。最後は神様の愛で満たしてくださるのです。
3: 最後まで耐え忍ぶ
イエス様は、12、13節において、「不法がはびこり、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍びなさい」と言われました。それは、教会外からの迫害だけではなく、教会内における分裂や裏切り、憎み合い、信仰共同体の崩壊を意味し、愛が冷えていくこと、他者を愛することを忘れ、自己中心的に生きてしまうようになってしまうことを教えているのです。
イエス様は多くの愛が冷えていく中で「最後まで耐え忍びなさい」と教えます。耐え忍ぶこととはただ神様の恵みの下に留まり続けることです。
4: 積極的に世の終わりを迎える
世の終わりは闇の出来事ではなく、希望の出来事です。私たちは、世の終わりをただ消極的に待ち望むのではなく、むしろ積極的に、主の福音を宣べ伝え、神様の愛をいただき、愛を証しする中で迎えていきたいと思います。
主イエス・キリストは、十字架と復活という出来事を通して、すべての苦難を打ち砕かれました。「闇」に「光」を与えられたのです。私たちは十字架と復活のキリストによる新しい命を受け取り、勇気をいただいて歩きだしましょう。(笠井元)