今日の聖書箇所は、東福岡教会の今年度の聖書箇所であるローマ5:3~5を含んでいる箇所であり、今年度の主題は「主の恵みの下に留まる」です。
1.この個所の文脈;信仰による義認を経験し、生きる
「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから」、これが4章までに述べられてきたことの要約です。キリストが私たちのために十字架で死んで下さったゆえに、神と私たちの間にはすでに「平和」があると言います。和解が成立しているのです。新しいテーマは神との間に「平和」が成立している人生をどのように生きるかです。キリスト教用語では、「義認」から「聖化」への歩み出しです。
2.希望と希望のサンドイッチの中で
パウロは「神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」と言います。また、5節では「希望は私たちを欺くことはありません」と言います。むろん、私たちが生きている現実に、さまざまな困難がないわけではありません。むしろ、逆です。困難、苦難があるのです。しかし、それらの困難は、希望(2節)と希望(4,5節)のサンドイッチの中で起こることなのです。
3.苦難をも誇りとする(喜ぶ)
私たちは、実際は様々な苦難、艱難を経験します。しかし、パウロは苦難を数え上げることをここではストップし、「それだけではなく、苦難をも誇りとします(喜んでいる)」(3節)と言います。
4.忍耐:主の恵みの下に留まる
なぜ、苦難を誇らしげに喜ぶかと言うと、苦難・患難は私たちに「忍耐」を学ばせるからです。「忍耐」と聞くと「忍んで、耐える」、自分でじっと我慢するというイメージです。しかし、「ヒュポモネー」は、「あるものの下に留まり続けること」を意味しています。私たちの場合は、神から愛され、恵みを与えられているという事実に留まり続けることです。それが忍耐です。
5.練達:テスト済 経験となった信仰
「忍耐は練達を生み出す」(4節)。口語訳では「錬」という「金偏」の漢字を使っていました。金属を火にさらして純度や強度を強めることです。新共同訳は「糸偏」の「練」という字を用いています。糸や布を冷たい水に晒して強くすることです。危機の体験が私たちを練り清め、強くするのです。「ドキマゾー」は、「テストの結果、合格、本物と認めること」を意味します。KJVはこれを「experience(経験」、NRSVは「character(性格)」と翻訳しています。義認の信仰がテスト済、実験済みで実証されることです。「錬達は希望を生み出す」。困難、忍耐、錬達から生まれる希望はわたしたちを欺くことはありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に溢れんばかりに注がれているからです。(松見俊)今年の標語通りに、困難、苦難に直面しても主の恵みの下に留まり続けましょう。(松見俊)