「希望をもって待ち続ける」
マタイによる福音書24:32-44
1: いちじくの木から学ぶ
イエス様は「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。」(マタイ24:32)と言われました。パレスチナ地方は日本のように四季がはっきりしておらず、冬の後に春が来て夏になるというより、冬の後に夏が来ると感じていたようです。「夏が近づいた」とは、冬が明け暖かい日差しの時、新しい命の誕生の時が来ることを教えているのです。
2: わたしの言葉は滅びない
34節からは「滅びる」という言葉が3度も出てきます。この「滅び」という言葉は「過ぎゆく」「過ぎ去る」という意味を持つ言葉です。イエス様は「天地は過ぎゆくが、わたしの言葉は決して過ぎ去ることはない」と教えているのです。
わたしたちの命において、確かなことは、いずれすべての者が神様の御許に召されていくということです。誰もが「過ぎゆく」世界に生きているのです。そのような私たちに、キリストは「わたしの言葉」を受け取る者は、過ぎゆくものではなく神様の愛に生き続ける者となると教えているのです。
3: 目を覚ましていなさい
イエス様は42節において「目を覚ましていなさい」と言われました。それは「終末の時を待ち続けなさい」、「神様の愛の完成を、希望をもって待ち続けなさい」と教えられているのです。「主は来られ、神様の愛は完成される」のです。今のこの苦しみの時はいずれ過ぎ去り、必ず神様の愛が注がれ続ける時がくるのです。イエス様は私たちに「希望に目を向け、待ち続けなさい」と言われているのです。
4: 変わることのない神の愛
イエス様は十字架に向かうところにありました。イエス様は滅びに向かっていたのです。その中でイエス様は「神様の御言葉は決して滅びない」と語ったのです。過ぎゆく世界にあって、いつまでも残るものとは「信仰」と「希望」と「愛」です。神様が私たちを愛していることはいつまでも変わらないのです。神様の御言葉、神様の愛が私たちを過ぎゆく者から、永遠にある者へと変えるのです。神様の御言葉は決して滅びることがありません。わたしたちはこの神様の御言葉、愛を土台として歩みだしたいと思います。(笠井元)