1: 肉の人
パウロはコリントの人々に「あなたがたは肉の人。キリストとの関係においては乳飲み子である」と語ったのです。1~3節の言葉を読むと、「以前」と「今」の言葉を見ることができます。パウロは「以前」あなたがたは肉の人であったとしました。そして「今」も何の成長もない肉の人のままだと言います。
3節の「ねたみ」という言葉は、宗教的な「熱心」も意味します。パウロ自身も以前はその信仰の熱心さのゆえに教会を迫害しました。(フィリピ3:5-6)コリントの人びとは、少なくともある程度は、真剣に神学的理解などについての論争をしていたのです。しかし熱心な論争が、争いを生み出すならば、それは肉によるものだと言うのです。「肉の人」とは、倫理的に問題がある、信心深く生きていないといったことではなく、キリストと繋がっていないことです。
2: パウロは植え アポロは注いだ
パウロは、自分も、アポロも、どちらもただ神様が与えられた働きに仕えた者でしかないことを教えます。コリントの人々の関心は、キリストの十字架ではなく「自分」にあったのです。「自分のための神様」になっていたのでした。信仰とは「神様のために生きる人間」という関係を築いていくことにあるのです。
3: 成長させてくださるのは神です
パウロが植え、アポロが水を注いだ。しかし、その福音を実現された方は神様ご自身なのです。私たちの心を変えられた方は神様なのです。この教会をキリストの教会として生み出したのは神様です。(ヨハネ15:16-17)福音を宣べ伝える者がいなければ、福音を聞くことはできません。しかし、どれほど働く者がいたとしても、種から芽を出させ、実際に成長する力を与える方は神様なのです。
4: 神のために力を合わせて働く
パウロとアポロは作物を育てるという共通の目的を持った働き手です。彼らは「力を合わせて働く者」「神様に従う同労者」なのです。パウロはコリントの教会を指し、「神の畑」「神の建物」と言いました。教会は「神の畑」「神の建物」、教会は神様のものです。
コリントの教会は分裂していました。それはその畑の縄張り争いのようなものでした。神様のものである教会を自分のものと勘違いして取り合っていたのです。
教会は神様の畑であるということから、その実りを神様に委ねていきたいと思います。私たちにできることは、「神のために力を合わせて働く」ことです。わたしたちはただ、神様の御業による実りを信じて、どのような時も、神様に従う者として力を合わせて働き続けていきたいと思います。(笠井元)