1:戦争責任に関する信仰宣言
76年前の今日、8月15日に日本はポツダム宣言を受け敗戦となりました。日本バプテスト連盟は1988年の定期総会において、「戦争責任に関する信仰宣言」という信仰宣言を採択しました。「戦争責任に関する信仰宣言」では、かつての侵略戦争に加担したこと、隣国の人びとを抑圧したこと、未だに平和を造り出す者としての生き方を実現できていない罪を、自らの罪として告白するのです。バプテスト東福岡教会も、日本バプテスト連盟に連なる教会として、私たちの国が犯した過ちについて、今一度きちんと受け止め、悔い改めの祈りを為していきたいと思います。
2:苦しみは誰の責任か
ネヘミヤは神様に祈ります。この祈りは過去の人々の過ちを自分の罪として受け入れ、悔い改める祈りです。ネヘミヤは、故郷エルサレムは未だに廃墟のままの町であり、そこに住む住民たちは辱めを受けている様子を聞きました。このような悲惨な報告を聞くとき、多くの場合は「どうしてこのようなことになったのか」と思う。そしてそれは「この苦しみは誰のせいなのか」という思いへとつながっていくのです。
3:悔い改めの祈り
本来ネヘミヤは、エルサレムが滅ぼされていった中での犠牲者です。しかし、犠牲者であるはずのネヘミヤが神様の前で罪の悔い改めの祈りを祈るのです。この祈りは、自分以外の誰かを責めることによって、自分は正しい者であるとしない祈りでもありました。ネヘミヤは「先祖が犯した罪は、私の罪です。神様私は悔い改めます。どうか、私たちの祈りを聞き届けてください」と祈るのです。
4:自分と他者を結びつける祈り
ネヘミヤの祈りは、自分だけを正しい者としない、自分の中にも同じ罪があることを認めた祈りです。それは自分と他者とを結びつける祈りです。私たちは自分の過ちで犯した罪でさえも人のせいにしてしまうものです。しかし、それはその人を自分から切り離していくこととなります。イエス・キリストもまた、そのような人間の罪によって捨てられ、十字架にかけられていったのでした。ネヘミヤの祈りは、罪を犯した先祖の罪と、自分の罪とを一緒にすることによって、自分と先祖を結びつけていく祈りなのです。
5:イエス・キリストによって導かれる
イエス・キリストはこの世にこられ十字架によって苦しまれました。十字架こそ罪のない者が、罪ある者とつながる出来事でした。神様はこのイエス・キリストの十字架を通して、私たちを見捨てるのではなく、私たちとつながり、私たちを救い出す者となられたのです。私たちは、キリストの十字架を通して共に悔い改めの祈りを献げていきたいと思います。(笠井元)