1: すべての者が天の国に招かれている
十人のおとめたちは花婿を迎えいれることが許されていました。つまり、賢いか、愚かかということは関係なく、すべての者が花婿を待つ花嫁とされていたのです。「天の国」、神様の愛の支配はすべての者に与えられているのです。賢くても、愚かでも神様の愛は注がれているのです。マザー・テレサは何度も「まず一番近くにいる家族を愛しましょう」と語ります。つまり、それだけ一番近くにいる者を愛するということは難しいことなのでしょう。聖書は、私たちすべての人間に、「神様はあなたを愛している」「あなた方も互いに愛し合いなさい」と教えるのです。
2: 人間には限界がある
五人の賢いおとめも、五人の愚かなおとめも花婿が来る前に眠ってしまいました。誰も花婿を起きて待ち続けることはできなかったのです。人間には限界があります。そのうえで、賢いおとめは油を準備して、愚かなおとめは油を準備しなかったのです。つまり、賢いおとめは、自分たちが起きて待ち続けることができず眠ってしまうこと、そして、油が足りなくなることを予想していたのです。それに対して、愚かなおとめは油を準備せず、花婿が来るまで起き続けようとしていたのです。つまり、自分たちの限界、人間としての弱さを見失っていたのです。
3: 油とは何なのか
油とは何を表しているのでしょうか。これまで油とは「良い行い」として理解されてきたようです。しかし、そのように理解すると、人間が良いことを行うことで、天の国を手に入れられるという話になってしまいます。賢いおとめたちは自分には限界があることを受け入れ、神様に委ねて花婿を待ったのです。この委ねて待つ姿こそ、信仰の姿であり、その信仰こそ賢いおとめたちの備えた「油」です。
4: 委ねて待つ
神様に委ねること、神様の愛を待つということは、私たちにはなかなかできないものなのです。私たちは、神様に委ねて神様の愛の支配の時を待ち続けたいと思います。主なる神様は、私たちの主人として、私たちを養い、命を守ってくださるのです。誰よりも信頼できる方、命の造り主である神様に委ね、神の国の到来、愛の御業を待ち続けたいと思います。(笠井元)