1: 新しい関係の始まり
ヨハネによる福音書13章ではイエス様が弟子たちの足を洗ったということが記されています。この時イエス様はすでに自らの死、十字架に目を向け歩みだしていました。つまり、この世における別れに向かう中で、イエス様は「互いに仕え合いなさい」と教えたのでした。
そして今日の箇所15章において、イエス様は弟子たちに「別れの言葉」を語るのです。イエス様が十字架で死に召されていく時、触れること、目で見ること、言葉を耳で聞くこともできなくなるという「別れ」があったのです。しかし、十字架は最後の別れではなく新しい関係の始まりでした。
2: 神様の計画
ここでは、木の剪定をする農夫と木と枝をモチーフとして、神様とイエス様と私たち人間のつながりについて語ります。農夫である神様は、イエス様に結ばれている者が、豊かに実を結ぶことができるように剪定をなされるのです。剪定の作業は、木が良い実をしっかりとつけるために、どこをどのように切っていけばよいかと計画を立て、木が実をつけるのに最適な環境を整えていくのです。
私たちの人生は神様の計画のうちにあります。そして神様の最大の計画がイエス・キリストの十字架です。神様は剪定をされるように、考えに考え、私たちを愛し共に生きるため、イエス・キリストを十字架に向かわせられたのです。
3: イエス・キリストに繋がる
神様は私たちが豊かな実を結ぶために、イエス・キリストを送ってくださいました。私たちは、何でも自分でできる、イエス様など必要ないと思ってしまうことがあります。しかし、私たちすべての者が死を迎えます。その時何が残るのでしょうか。
今日は、召天者追悼記念礼拝として、私たちの信仰の先達として一足先に神様の御許に召された方々を覚えています。イエス・キリストは、どこにあっても共にいてくださるのです。神様の愛は死を越えて注がれるのです。神様は決して私たちを離すことはないのです。このイエス・キリストの愛の関係に留まりましょう。(笠井元)