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2021.9.29 「高ぶることなくキリストに仕える」 Ⅰコリントの信徒への手紙4:6-13

1.        高慢による分裂

 コリントの教会は内部で分裂していました。パウロはコリントの教会の人びとに、分裂ではなく一致することを教えています。パウロは「一人を持ち上げてほかの一人をないがしろにし、高ぶることがないようにするため」(6)と言いました。コリントの教会の人々は、自分たちで指導者の品定めをし、自分たちで一人を持ち上げ、一人をないがしろにしていたのです。

 分裂は、私たちにとっても他人ごとではありません。それこそ教会の歴史は分裂の歴史でもあります。東方と西方、ローマ・カトリックとプロテスタント、プロテスタントでは、いくつもの教派に分かれています。信仰、救いなど考え方の違いもあるでしょう。妥協できないところから違う道を歩き出すときもあります。しかし、教会が起こしてきた分裂は、ほとんどが「自分は正しい」「他者は間違っている」という「高慢」な思いによる分裂です。

 

2.        すべては神からいただいた

パウロは「いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。」(7)と言います。別の訳では「あなたの持っているもので、神から与えられたのでないものが一つでもあるか」(柳生直行訳)とあります。

私たちは、自分が頂いているもの、力や才能、時間や環境、家族や友人といった人間関係も、すべては神様から頂いているということを覚えたいと思います。「高ぶる」という言葉は、口語訳、新改訳では「誇る」と訳されている言葉で、原語では、「誇る」「頼みとする」「よりどころとする」という意味の言葉です。

パウロは「なぜあなたがたは自分を誇るのか」「なぜ自分をよりどころとするのか」・・・「神を誇り」、「神をよりどころとする」ことを教えているのです。

 

3. 王様となる(8)

もともとコリントの教会は無学な者、無力な者が選ばれたとあります。(Ⅰコリント1:26-31)しかし、そのようなコリントの人びとが「満足し」「大金持ちになっており」「勝手に王様になっている」と言います。「満足」「豊か(大金持ち)」「王様」という言葉は、哲学的、宗教的に境地に達することを言うために使われた言葉とされています。コリントの人びとは、自分たちはキリスト者としての境地に達していると思い込んで、すべてを支配するようになっていると考えていたのです。

私たちは自分が自分の主人と、自分の王となっているのではないでしょうか。「自分の人生は自分のもの」「自分は自分のために生きてよい」と勘違いをしているのではないでしょうか。私たちは神様によって命を与えられ、神様のために生きるのです。

 

4.キリストに仕える者

4章1節でパウロは自分たちを「キリストに仕える者」「神の秘められた計画をゆだねられた管理者」と言いました。1節での「仕える者」という言葉はⅠコリント3章5節にある「仕える者」「ディアコノス」とは違い「ヒュペーレテース」、「奉仕者」「助手」「下役」という意味の言葉となります。この言葉の語源は、「下で(ヒュポ)漕ぐ人(エレテース)」となります。つまり、舟底にいて、ただ監督の指示に従い、ひたすら櫂を動かし、漕ぎ続ける者です。文語訳では「キリストの役者」となっています。キリストに仕える者とは、み言葉のために働く労役者です。

使徒とは、王でも支配する者でもなく「キリストに仕える者」です。9節以下では「死刑囚のように最後に引き出される者」「見せ物」「愚か者」「世の屑」「すべてのものの滓」と言います。

 

パウロは「キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方」「わたしに倣う者になりなさい」(4:16-17)と勧めます。私たちは「高ぶる」ことなく、神様に仕える者として、キリストのために苦しむ道、ただ主に従う道を歩みたいと思います。(笠井元)