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2021.10.3 「正しいことと愛すること」(要約)  マタイによる福音書26:1-13

1:  十字架に向けて

イエス様は24章から終末について語られてきました。終末とは、神様の愛の完成の時です。イエス様は、神様の愛の完成を見つめて歩む、希望の道を語られてきたのです。神様の愛、悔い改めのための福音の言葉を語り終え、ここからイエス様は自らの人生をかけて実現される十字架の道を歩き出されたのです。

 

2:  女性の油注ぎの思い

 イエス様の十字架の道の始まりの時、一人の女性がイエス様に極めて高価な香油をイエス様に注ぎかけたのでした。このような行為は思い付きでできることではないでしょう。女性は自分にとって大切な宝物をイエス様に捧げたのです。女性はなぜこのようなことをしたのでしょうか。女性の動機はいくつか考えられます。しかし、マタイはその動機を記さなかったのです。記されていないからこそ感じることは、女性の純粋なイエス様への愛を感じることができるのです。同時に、女性がイエス・キリストの愛を受け取っていたとも言うことができるでしょう。この女性は、「無駄遣い」に見える行為を損得勘定や合理性を超えたイエス様への愛をもって、この行為を行ったのです。

 

3:  弟子の非難 正しい言葉と愛する行為

 女性の行為を見た弟子たちは憤慨して非難しました。弟子たちの意見は間違った意見ではないでしょう。しかし、弟子たちの正しい言葉は、女性のイエス様を愛し、仕え、自分の宝物を捧げるという行為を否定したのです。正しい言葉、正しい行為は時として人を傷つけます。イエス様は、弟子たち、そして私たちに、正しい言葉を語ることではなく、愛する者となることを教えられているのです。

 

4:  私たちを受け止めて下さる方

イエス様は弟子たちの言葉を受け止め、そのうえで「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる」(11)と言われました。貧しさとは何も持っていないということだけではありません。隣に誰もいない「孤独」こそ本当の貧しさです。イエス様は「あなた方は貧しい者といつも一緒に生きる者となりなさい」と教えられたのです

 

神様の愛は、時に、この女性の行為のように愚かで無駄に見えるのです。しかし、そのような無駄で愚かな行為であっても、神様を愛し、仕える時、そこに本当の愛が表されるのです。わたしたちは、正しいことだけを選び取るのではなく、愛する行為を選び取っていきたいと思います。(笠井元)