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2021.11.28 キリストに結ばれた「神の家族」(全文)  エフェソの信徒への手紙2:14ー22

 今日からイエス・キリストの誕生を祝うクリスマスの準備が始まる待降節(=アドヴェント)です。アドヴェントクランツの一本目のロウソクに火がともります。新約聖書が証しする信仰は、自分と違う人たちと、違いを認めながら共に生きて行こうとする信仰です。イエス・キリストの到来によって、2000年前に支配していた「隔ての壁」は取り払われました。その壁は、イスラエル人と異邦人との間の壁、つまり、天地万物を創造し、愛と正義をもって歴史を導く神を信じる人々と「異邦人」(11節)あるいは「外国人」との間の大きな壁でした。今日でも、部族、民族、宗教、国の文化の壁を乗り超える難しさに私たちは直面しています。今朝、私たちが、聞く聖書の言葉はこう言っています。「実に、キリストは私たちの平和であり、二つのものを一つにし、御自分の肉体において敵意という隔ての壁を取り壊した。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人(人類!Humanity)に造り上げて平和を実現し、あの惨たらしい十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストは(聖霊によって)おいでになり、遠く離れているあなたがたにも(つまり、日本人、アジアの人々にも)、また、近くにいる人々にも(ユダヤ人たち)、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族である。」

 

 1.和解者キリストの到来と「神の家族」

 キリストが来られた。十字架で殺されたイエスを父なる神がよみがえらせたことによって神と人、人と人の間、現代のテーマで言えば人と環境世界との間に和解が成立した、このことが決定的に大切なことです。待降節はまさに、キリストの誕生を喜び祝い、待つ時期です。さらに、今朝は待降節の第一週として、「世界バプテスト祈祷週間」の始まりの主の日として礼拝しています。キリストの到来と世界の中で福音を分かち合うこと、そのために祈ることとは切り離すことはできません。キリストは私たちの主であるばかりか、世界に生きる人々を解放するために来られたお方だからです。

「世界祈祷週間」は、中国伝道に一生を捧げ、過労・衰弱のため米国に帰る途中、神戸港で天に召されたロティ・ムーンの呼びかけで始まったクリスマス献金をきっかけにしています。世界に広がるバプテストたちが「キリストに結ばれた神の家族」のために祈り、捧げものをする8日間です。今朝は、「神の家族」ということに焦点を当てます。ここで語られている「家族」とは単なる血縁関係の家族というより、いろいろの人が集う少し大きな「家」あるいはそこに住む人々のことです。「家族」と聞くと、繋がりの濃さとお互いの我がままで、心がざわつく方もおられるでしょう。あるいは、現代に生きる私たちに懐かしい想いを抱かせる響きもするでしょう。今朝読んでいる聖書の文脈では、和解の主キリストの到来が重要であり、「家族」も「神の」家族に力点があります。その事実を心に置きながら、今朝は世界祈祷週間の初日として、あえて「神の家族」を取り上げたいのです。

 

2.スイスと米国での体験:私たちは祈られている

 私は19788月末からスイスに留学しました。家族は12月末にスイスに参りましたので、その年は、一人で迎えた世界祈祷週間でした。神学校の敷地内にあった教会堂に貼ってあった世界祈祷日か世界祈祷週間のポスターを見て驚きました。なんと、ヨセフさんとマリアさんが浴衣のような貧しい着物を着ており、イエス様は昔我が家でも使っていた大きな木の盥で産湯を使っているのです。世界のバプテスト諸教会の連合体であるBWAという組織があり、約4700万人のバプテストたち、126か国241の団体が加盟しています。私たちのバプテスト連盟もこの世界連盟に加盟しています。バプテスト世界祈祷週間はBWAではなく、南部バプテストや日本バプテスト連盟が行っているプログラムですから、あの着物を着たマリアとヨセフのポスターが皆様の目にふれたかどうかは分かりません。確かなことは、1978年は、世界中のバプテストたちが日本の教会、私たちのために祈っていたということです。私たち日本の小さなバプテストの群れは世界から祈られている。キリストに結ばれた神の家族なのです。

 私たちが祈られているのは、単にバプテスト教会に限られたことではありません。私は、1991年には米国のヴァージニア州のリッチモンドにある南部長老派の神学校に行きました。日本のICUという大学などを作った教派です。あの年は1月に湾岸戦争で揺れた年でした。米国の空港にはカービン銃をもった警察官がうようよしていました。神学校に奇妙な日本人が来たと言うので早速3つの長老派教会から説教の依頼がありました。この年は、実は、米国の長老教会は日本のクリスチャンのために祈る年であったそうです。私たち小さなバプテスト教会の群れは教派を超えて、世界から祈られている、キリストに結ばれた神の家族なのです。

 

3.宣教師の派遣地、リッチモンド

 リッチモンドは米国の南北戦争の激戦地で有名です。南部バプテスト連盟の国外伝道局の事務所があるので、100名以上が働く事務所を早速表敬訪問してきました。日本に来ていたバーチ宣教師も働いていましたが、世界各国に派遣している宣教師たちの給与計算を手伝っているとのことでした。世界祈祷週間のきっかけを作ったロティ・ムーンはヴァージニア州の非常に裕福な大農園で生れました。現代でも黒人差別が問題になっていますが、大農場では800人の黒人労働者が働いていたそうです。裕福ではありましたが、ロティと一緒に教会学校で学んでいた姉のオリアンナは人を助ける看護士になりました。妹のエドモアは20歳の若さで、ロティに先立って中国に宣教師として旅立ちました。その後、ロティも宣教師として中国に行きましたが、妹のエドモアは体を壊し、5年で中国を去らねばなりませんでした。私の記憶が定かではないのですが、南北戦争で傷ついた兵士の看病をしていた姉のオリアンナも宣教師になることを祈りながら病院で働いていたそうです。リッチモンドの下町から神学校とは逆方向、多分東側に流れる川を渡り、しばらく自動車を走らせると、小高い丘陵地となります。その丘の一つには病院が建てられています。その病院で、先程お話した看護師のオリアンナか、あるいは身体と精神を壊して中国から帰国し、リッチモンドで待機していたエドモアが働いていたようです。私は、そこに立った時、伝道者として、感無量でした。米国のキリスト教の問題はたくさんあるのですが、美しい丘に立って、三姉妹揃ってのイエス様の福音を分かち合いたいという想いが心に迫ってきました。

 さて、ロティ・ムーンのことですが、彼女は中国人を愛してイエス・キリストの愛を伝えました。中国への宣教師が足りないと度々米国に訴えたことがロティ・ムーン・クリスマス献金、そして、世界祈祷週間として今でも世界で守られているわけです。彼女が63歳の時、米国での休暇を終えて中国に旅立つとき、1900年義和団事件が起こり外国人排斥の雲行きの中多くの人が心配しましたが、彼女はこう言ったそうです。「同情してくださるより、むしろ、祝福して下さい。もし私が自分の仕事に戻れないとしたらどんなに惨めだろう。」この言葉に対して松田正三先生は、「今や、ロティにとって、アメリカは外国であり、中国こそ「故郷」なのでした。」(バプテストの人と思想 96頁)。まさにロティにとって、米国人も中国人もキリストに結ばれた神の家族なのです。ちなみに東福岡教会におられたメアリ・ウオーカー先生ご夫妻の夢は中国に行くことでした。しかし、中国共産党革命で門戸を閉ざされ、やむなく、中国に近い日本を選ばれたそうです。リッチモンドはこのような宣教師たちを支えてきた場所です。

 

 4.異質な他者を受け入れる 

 私は、リッチモンドの中心の超格安ホテルに滞在し、初めての日曜日を迎えました。今のようなスマートフォンの道案内などありません。どこにバプテスト教会があるかも検討もつきません。そこで、道を歩いていると、店のウインドーを洗っている男性を見かけました。私はその人にこう呼びかけました。「私は長老派のユニオン神学校に入学するためにリッチモンドに来た日本人ですが、実はバプテストなのです。この近くにバプテスト教会はないでしょうか」。すると、彼は「自分は長老派教会の長老(執事)ですが」と言って、仕事を中断し、車に乗せて7,8分の処にあるリッチモンド第一バプテスト教会に連れていってくれました。車を降りる際に、「もし、君に声を掛け、お昼ご飯に誘ってくれる人がだれもいなかったら、私に電話しなさい」と言って電話番号を書いたメモを渡してくれました。生憎そのバプテスト教会の牧師が休暇中のこともあったのかも知れませんが、800名くらいの出席者でしたが、礼拝が終わってもだれ一人声を掛けてくれませんでした。ちなみに、この第一バプテスト教会の女性会は、外国伝道局にお金がなくて、ロティが中国に行かれなかった時に、その費用を負担してくれた教会です。話が少し逸れましたが、だれも声を掛けてくれなかったので、先ほどのメモをくれたウエストさんに電話すると、夕方、迎えにきてくれて、食事に招いてくれました。次の日は、「これはメイド イン ジャパン、ホンダの自動車だよ。リッチモンドの町を見学したら」と言って、一日中車を貸してくれました。「全く行きずりの見ず知らずの人にここまでするか」と思うほどのクリスチャンの懐の広さを感じました。米国には黒人差別、アジア人差別、その他政治的、社会的に嫌なことが沢山あります。しかし、このようなクリスチャンたちがおられることも事実です。初めて出会った旅人、異邦人、外国人をキリストにある神の家族の一員として迎え入れる「おもてなし」の心です。

 

 5.世界を覚えて祈り、献金しよう

 これまで、私たちが神の家族として世界から祈られ、支えられてきたことをお話しました。最後に、私たちも世界の人々、クリスチャンの仲間たちのために祈る人、祈る教会、自分とは違っても他者を歓迎する教会になろうと皆さまに呼びかけたいと思います。

 

 私たち、日本バプテスト連盟が最初に宣教師を送った国がブラジルでした。私にとってブラジルは心にかかる国でした。私の父は貧しい学者の子どもで、祖父は子沢山でした。下に二人の妹、三人の弟がいました。父は長男でしたが、戸籍で先妻の子らがいて、なんと長男ですが、八男でした。成績は良かったようで高校の先生から大学進学を奨められたようです。しかし、養うべき兄弟たちも多く、高校卒業後すぐに就職したそうです。父がいつかぽつりと言ったことは「本当はブラジルに移民に行きたかったけれど、弟、妹も多く日本に残って働かざるを得なかった」ということでした。アジア・太平洋戦争前の日本はそのような国でした。その時以来、少年の私には「ブラジル」という国が特別の国になりました。バプテスト連盟がブラジルに宣教師を派遣し、支えることが決まり、それ以来ブラジルと戸上宣教師夫妻のことが私の祈りになりました。その後の沖縄伝道と調先生のこと、インドネシヤ、タイ、カンボジヤ、ルワンダのこと、シンガポール、そして友人のいるミャンマーのことを話せばキリがないのでやめますが、私たちの人生はいろいろな縦糸と横糸が折り合わされ、どこかでだれかと関係しあっているのではないだろうかと思います。そんなことを考えながら、私たちも世界のことを覚えて祈り、精一杯の献金をしましょう。自分のことで勢いっぱいではありますが、それだからこそ小さくちじこまらずに、世界に目を向け、そして、紛争の絶えない国々、社会的に周辺に追いやられた人々のことを祈りましょう。人はみな、キリストにおいて結ばれた神の家族なのです。(松見俊)