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2021.12.5 「偶然の背後で働かれている神」(全文)  マタイによる福音書1:1ー6a、17

1:  すべての人間の救い主として生まれた

 今日は、新約聖書の一番最初の箇所となります。ここではまずイエス様の系図が記されています。この系図は、17節にあるように、「アブラハムからダビデまで14代」、「ダビデからバビロンへの移住まで14代」、そして「バビロンからキリストまで14代」と、それぞれ、完全数と言われる7の倍数の14代で区切られています。この区切りを見てみると、最初の14代は、アブラハムという神様の祝福から始まり、ダビデというイスラエル王国の誕生まで、まさに栄光の時代です。そしてその後の14代は、ダビデの子ソロモン後からイスラエルは分裂し、最終的にはアッシリア、バビロンに滅ぼされていく、栄光から転げ落ちていく、没落の時代です。その後の14代は、バビロンでの捕囚の時代、暗黒の時代と見ることができます。 

そのような暗黒の時代に「メシアと呼ばれるイエスが生まれた」(16)のです。イエス・キリストの誕生。それはまさにこの世が暗黒の時代となり、もう自分たちではどうすることもできない中に与えられた、神様の救いの出来事なのです。1節では、アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図とありますが、この系図には、男性、女性、ユダヤ人、異邦人、王様、奴隷といった、本当に様々な立場の人々が記されています。ここに、イエス・キリストは生まれられた。この系図が表すこと、それは、全ての人間の救い主として、すべての人間の慰めと希望として、イエス・キリストが生まれられたということです。

 

2:  歴史の中に来られた

 この系図に記されているアブラハムからイエス様までの歴史を考えると、それは1000年を越える歴史となります。私たちは、1000年、2000年先のことを想像し、思い浮かべて、そのうえで今を生きているでしょうか。 

現在は、新型コロナウイルスの感染拡大が始まってから、すでに2年ほどが経っています。2年前、2019年は、日本でラグビーのワールドカップが開催され、盛り上がり、流行語大賞はラグビーによる「ONE TEAM」となりました。そして、この後2020年には東京でオリンピックが開催されると待ち望んでいたのです。2019年のこの時、この後、新型コロナウイルスの感染が拡大し、オリンピックが延期となることなど、誰も思っていなかったでしょう。私たちは、歴史の過去を振り返ることはできます。またその先を予想することもできます。しかし、実際に予想通りになるかどうかはわかりません。それは私たち人間が、歴史の中に生きている者であり、その歴史を導く者でも、支配する者でもないからです。

同じように、この系図に書かれている人々も、それぞれ一人の人間として、この世界、この歴史に生きた人々でした。そのような意味で、アブラハム、イサク、ヤコブ・・・ダビデ・・・マリアもヨセフも、一日一日を生きていた。それは、時に、神様のみ言葉を聞き、時に、目の前の困難に向き合い、誘惑に陥り、神様から離れることもあり、それでも神様に導かれ、もう一度悔い改めていく。そのような人間としての、弱さや破れを感じつつ、またそこに与えられる神様の慈しみ、赦し、愛を受けて、毎日を生きていたのです。この系図に記されている人々は、私たちと何も変わらない、ただの一人の人間です。

 そして、そのうえで、歴史を支配し、歴史を超えて人々を愛し続けておられる方、父なる神様が、一人の人間として、御子イエス・キリストを、この歴史の中の一人の人間として送られた。1000年も2000年も関係なく、歴史を超えた存在、そしてそれは私たち人間を永遠に愛し続けてくださる「神様」が、私たち人間の中に、歴史の中に来られたのです。それがイエス・キリストがこの世に来られたこと、今、私たちが待ち望む、クリスマスの出来事なのです。

 

3:  背後で働かれている神様

 この人間の思いを超えた神様の働きを、この系図に記されている人の中の一人、ルツから見ていきたいと思います。

 ルツについては、旧約聖書のルツ記に記されていますが・・・内容を簡単に説明をしますと、・・・ルツの義理の母、ナオミは飢饉のため、夫のエリメレクと二人の息子と、ユダのベツレヘムを離れ、モアブの地に引っ越した。そしてモアブの地において、二人の息子が結婚をした。その妻の一人がルツとなります。ただ、その後、夫エリメレクは死に、その後10年ほどたってから、二人の息子も死んでいったのです。ナオミは生まれ故郷のベツレヘムに帰るのですが、その時、義理の娘ルツは、ナオミの断るのを振り切って、ナオミについてきたのです。ただ、ベツレヘムに帰ってきても、何か仕事があるわけでもなく、二人に待っていたのは「どん底の生活」でした。そのため、ルツは落ち穂ひろいに出かけるのです。落ち穂拾いとは、収穫の時にこぼれ落としたものを、拾い集める行為でした。そして、そこで、ルツはボアズに出会い、その後、ボアズと結婚し、その息子がオベド、そしてオベドの子がエッサイ、そのエッサイの子がダビデとなるのです。

ルツ記では、ルツがボアズに出会ったのは、「たまたま」と言います。「たまたま」、この言葉は口語訳では「はからずも」となっています。つまり「偶然」ということになります。しかし、ルツ記が語るのは、この人間の目からすれば「偶然の出来事」、「たまたまの出来事」である、この背後に、神様が働かれていること。神様は、そのような人間にとってみれば、計画外の出来事、計画しきれないところで働かれてくださっているということなのです。

ルツ記では、この神様の背後からの働き、守りについて語ります。ルツ記で、ボアズはこのように語ります。【イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように。】(12)「落ち穂拾い」「ボアズの親切」。しかし、その背後にある、「主の御翼」「主の慈しみ」これこそ、ルツ記で語る、神様の恵みです。

 

4:  暗闇の中に来られる方

 ルツも、また義理の母、ナオミも、または夫ボアズも、その後、その子どもからイスラエルの王ダビデが生まれること、そしてその後、世界の救い主、イエス・キリストが生まれることなど、まったく想像していなかったでしょう。しかし、そこに神様が働かれた。そしてそこに救いの御業を成し遂げられていったのです。

 私たちは今、アドベントの時として、イエス・キリストの誕生を待ちます。私たちの人生には、時に、暗闇の時があり、逃げ切れない困難にぶつかることもあります。ルツ記では、ナオミは夫と息子を亡くし、ルツは夫を亡くした。もはや生きていくことも難しい状況にあった。しかし、神様はそのような者を救いあげてくださったのです。わたしたちは、この暗闇の中に働かれる、神様の働きを待ち望みましょう。どのような暗闇においても、主は必ず来られます。どれほどの困難のときも、神様は必ずそこに働いてくださるのです。ここに希望があります。私たちは、ただ、この救いの御業、イエス・キリストの誕生を待ち望みましょう。そこに神様が必ず働いてくださるでしょう。(笠井元)