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2021.12.8 「神様に目を向けて生きる」 Ⅰコリントの信徒への手紙7:1-7

 1: イエス・キリストを土台として

 7章から【そちらから書いてよこしたことについて言えば】(1)とあるように、コリントの人々から送られてきた具体的な問題に対して答えていきます。

コリントでは5章、6章において「不品行」「みだらな行い」がはびこっていたことが記されています。(Ⅰコリント5:1,6:8-10コリントの教会には、一つには「性的に自分たちは自由だ、肉体はいずれ滅ぶのだから何をしても問題はない」「自分たちは何をしてもよい」と思う人たちもいれば、それに対して「自分たちの体は、清い生活をするべきだ。性的接触はすべて避けなければならない」といった意見もありました。そこに分裂が起きていたのです。今日の言葉は、そのようなコリントの教会の人々に対するパウロの答えです。(Ⅰコリント6:12,6:19-20

 

2:  欲求を正しく満たす

1節では【男は女に触れない方がよい。】(1)と言います。「触れる」とは「性的に関係を持つ」ことを意味します。今日の箇所は「すでに結婚している者に語っている」と考えられています。パウロは2節でみだらな行いを避けるため結婚を勧めています。パウロの本音は、結婚に対しては否定的で(7)、自分のように一人でいてほしいと思っています。

 聖書からは人間の「欲」を否定的に読み取ってしまいがちです。しかし性的欲求だけではなく、食欲、金銭欲等々、何かを正しく求めることも、正しく神様に従うことなのです。

 

3:  神を中心に互いに仕え合う

 加藤常昭氏は、3~4節の言葉をこのように語っています。「驚くべき言葉だと、私は思います。男女同権と言いますけれども、まさにそうです。そしてここでも、私は認めざるを得ないと思いますけれども、男女同権が崩れるのは、何よりも夫婦の生活においてであろうと思います。

男は妻を、あるいは妻の体を、意のままにする権利を持っていると思い込む。妻は夫である自分に対して果たすべき務めがあるけれども、自分が妻に対して果たすべき務めがあるなどとは思わない。そのような考え方が、日本人にも、また昔からどこの民族であろうと・・・持ったのではないかと思います。しかしここでは、パウロはそうは言わないのです。夫も妻も、その点では一線に並ぶ。互いに自由です。しかしこの自由は、お互いの意思を尊重する自由です。そこでお互いを尊ぶ。そういう意味です」(FEBC『聖書をあなたに』)

 

5節では男女同権のためにどんなにお互いが相手を求めたとしても、祈りの時を過ごすためには手を出してはいけないと、神様に向き合うことを優先することを勧めます。パウロは、教会と同じように夫婦もイエス・キリストの十字架を土台に、神様に目を向ける上で、お互いに仕えることが出来ると教えます。また「納得しあったうえで」という言葉は、英語の「シンフォニー」の語源とされ「共通の意見」という意味を持ちます。それは「神様に従う」という共通の思いです。また5節後半ではサタンの誘惑について語ります。人間は誘惑と戦い続けているのです。

 

4:  与えられた賜物をもって神様の御心を表す

パウロは【わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい。】(7)と言いながら、そのうえで、【しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。】(7)と続けます。私たちは、「神様の前で自分の生を真剣に生きているか」と問われているのです。私たちは、自分に与えられている賜物、欲求について、神様に預けられている命として歩みたいと思います。(笠井元)