主イエス・キリストの誕生をお祝する待降節第3主日を迎え、3本目の蝋燭に火が灯りました。ゼファニヤ書3章14節~18節前半を読んで、心に響く言葉は、「娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ」という呼びかけです。「喜び」がこの個所の基本的響きです。預言者は私たちを喜びへと招きます。喜びこそ主なる神の到来を待つ信仰者、クリスマスを待つ私たちの態度なのです。
1.ゼファニヤが直面した状況と私たち
預言者はどのような状況の中で「喜び」を語ったのでしょうか。ゼファニヤ書1:1には「ユダの王アモンの子ヨシヤの時代に、ゼファニヤに主の言葉が臨んだとあります。」とあります。この時代ユダ王国は北の大国アッシリヤに従属する国でした。権力を崇拝する異教の神々と文化が流入し、様々な異教の偶像礼拝、主なる神への無関心、社会的不正がはびこる時代でした。素直には喜べない事情の中で、預言者は、「喜べ」と呼びかけます。
2.主なる神自身が喜んでくださる
不思議な言葉が登場します。「主はお前のゆえに喜び楽しみ/お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」主なる神ご自身が、その深い愛のゆえに、愛によってユダの民を新たにして喜んでくださる。主なる神ご自身が、私たち一人一人を愛し、その存在を喜んでくださる!私たちが何とかして喜ぼうと無理するのではなく、神があなたを受け留め、喜んでいるから、その神の喜びに与って私たちも喜ぶのです。
3.インマヌエル:神我らと共にいます
イザヤが語ったインマルエル=神われらと共にいますという言葉が、約100年後ゼファニヤの言葉の中に響きます。むしろ、ここではそれが深められ、神は、民の「ただ中に」います、神はあなたの「ために」いますとうのです。だから、諸々の災い、自然災害やウイルスを恐れるのではなく、信仰と希望をもって対処すればよいのです。
4.終末の一歩手前を生きる
終末の「その日」はいつ来るのでしょうか?39歳の若さでナチスによって殺されたボンヘェッファーは「終末一歩手前を生きる」という表現を用いて私たちの生き方を表現しています。終わりが近いと熱狂的に浮き足立ったり、諦めて座り込んだりせず、他方、終わりはまだまだ先のことであると考えて怠惰な生活、油断し、緩んだ生き方をするのではなく、「終わりのその日の一歩手前」の時を生き、事実を目詰める冷静さと信仰による希望に生きることを教えています。キリストの降誕と終わりの「その日」の到来を待望しながら、クリスマスを喜びをもって祝いましょう。そして、むき出しの力や効率や金だけによる支配にささやかではあっても抗いながら、弱くされた人の傍らにいて、互いに支え合う働きを担いましょう。(松見俊)