1: 二つのつまずき
つまずきには二つのつまずきがあります。一つは、私たちを誘惑し、罪に陥れる取り除くべきつまずきです。人間を躓かせる心の一つに「傲慢」という心があります。もう一つのつまずきは神様によるつまずきです。今日の箇所におけるつまずきは、神様が置いたつまずきであり、避けることのできない、担うべきつまずきなのです。
2: 人間の弱さ
ペトロは「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」(33)と言いました。ペトロの気持ちにはうそはなかったでしょう。しかしこのペトロの思いはあくまでも人間の強さにより頼んだものでしかありませんでした。どれほど強く私たちが決心したとしても、私たちの思いというものは、折れる可能性があるもの、変わりやすいものなのです。
なぜイエス様に選ばれた12弟子がイエス様を裏切ったり、「知らない」と言ったということを、わざわざ書き記したのでしょうか。福音書記者は弟子の裏切り、弱さに神様の愛を知ることとなる。だからこそ、その弱さを記したのでした。
3: 神様に寄り頼む
イスカリオテのユダと、ペトロは何が違ったのでしょうか。二人とも弱さを持ち、イエス様を裏切り、見捨て、神様から離れていった罪ある人間でした。
大きな違いは、ユダは自分の罪は赦されないものと考えた。つまり最後まで自分の力での解決の道を選んだのでした。それに対して、ペトロは、自分の罪を受け入れて下さる神様の恵みに触れ、悔い改め、神様の愛を信じたのです。私たち人間は、何度もつまずき倒れるものです。信仰とは、私たちの決心によって貫かれていくことではなく、神様の一方的な愛を、ただただ受け入れることなのです。
4: わたしはあなたがたより先にガリラヤに行く
「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」(32)と言われました。この言葉は、つまずきが永続的なものではないことを教えています。
私たちが歩む道。それはイエス・キリストを先頭とした道です。今年も様々なことがありました。新しい年も様々なことがあるでしょう。何度も何度もつまずき倒れるかもしれません。私たちは自分の弱さや力のなさを嘆くのではなく、キリストによって開かれる道があることを信じて希望をもち歩いていきましょう。(笠井元)