1: 聖書を読む基本的姿勢
聖書は、歴史を学ぶためでも、科学を学ぶためにでもなく、神様を知り、神様の救いの御計画を知り、信仰を養っていくために聖書を読むのです。今日の箇所は天地創造の物語の第一日目となります。ここから神様が何を私たちに語ろうとしているのかを、読み取っていきたいと思います。
2: 神様が世界を創造された意味
創造物語は、私たちに何を語ろうとしているのでしょうか。ここでは世界がどのようにできたかということが教えられているのではありません。神様が世界をなぜ創造されたのかという創造の意味を教えているのです。
3: 混沌 創造の業を破壊する
旧約聖書では創造主なる神様を陶器を作る陶工としてたとえます。陶工は器を作る時に、目的、意図、意志や思いを持って作ります。神様も世界を「何のために」「どのように」と、よくよく考えて創られたのです。2節では「地は混沌であった」と言います。「混沌」という状態は、何もないというよりは、命を生み出すことのない状態を意味しています。私たちが自分勝手にこの世界を破壊するとき、神様の創造の業を壊してしまっているのです。
4: 命を頂いて生かされている
動物や植物の命を食べることは罪となるのでしょうか。私たちが動物や植物を食べるということ自体は罪とはならないでしょう。しかし、その命を粗末にすることは許されていません。私たちもまた、神様の創られた世界で命を頂き、また命を差し出して生きるのです。
5: 「光あれ」 無秩序に秩序を
この時イスラエルの人々はバビロン捕囚の中にあり、夢も希望も奪われてしまったような状態でした。混沌の世界にいたのです。それでもなお「神様が天地を創造された」と語ったことは、ただの言葉ではなく、信仰の戦いの中で語られた信仰告白です。神様は「光あれ。」(3)と語られました。この光は、混沌の世界にあって世界を照らす光、無秩序に秩序をもたらすことです。
6: 十字架と復活より命をいただく
神様の創造の業とは、命のない世界に命を生み出し、秩序のない状態に秩序を創り出して下さった出来事です。この創造の業は今も続いているのです。イエス・キリストの命が、命のない世界に新しい命を生み出して下さったのです。これから新しい一年が始まります。私たちは、その神様の働きに参与する者とされていきたいと思います。(笠井元)