キリスト教の暦=カレンダーでは1月6日はエピファニー(公現日)、イエス様が公の生涯を歩みだされたことを記念する日です。クリスマから始まる教会の記憶、その喜びと感謝が年末・年始の喧騒に巻き込まれたり、またぞろ孤独や孤立、不安、悲しみと嘆きの闇に飲み込まれないため、クリスマスの飾りは1月6日までそのまま飾り付けられているのが伝統的な教会のしきたりです。今日は新年第二週の主の日の礼拝であり、6日の後の次の礼拝の日であるので、公現日の伝統について考えてみます。公現日の歴史的由来は、諸説ありますが、イエス様がバプテスマのヨハネからバプテスマを受けられた日とされています。イエス様誕生の約30年後の出来事です。イエス様がバプテスマを受けられた意味、そして、それに続いて私たちがバプテスマを受ける意味について思い巡らしてみましょう。
1.この日、この時までのイエス様
ルカ福音書3:23によれば、イエス様が宣教活動を開始されたのは「おおよそ三〇歳のころであったと言います。では、イエス様は30歳まで何をされていたのでしょうか?ルカ福音書3:41~52によると小学校6年生、12歳の少年時代の物語が伝えられています。かなり早熟な子で、新年のお祝でエルサレム神殿に両親と共にお参りに行ったのですが、途中でイエス様は迷子になってしまいます。両親も少し油断して、まあ、ご一行の中の何処かにいるだろうと考えていたのですが、少し心配になってイエス様を捜すと彼はまだエルサレムに残って神殿の境内で律法学者たちと議論していたのでした。マリアさんも少しムカっとして、「何してるの、困った子!心配したよ」というと、「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父(なる神)の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか?」と来たのです!少し「おませ」な子であったようです。なんといっても「神のみ子」ですからね。
マタイ福音書(2:1-18)によると、イエス様の誕生は紀元前5~6年頃であったと推定されます。聖書以外の他の歴史資料で検証されることは、当時ユダヤを支配していたヘロデ大王が紀元前4年、70歳で悪病にかかり死んだことです。マタイ福音書によるとイエス様誕生の際にヘロデ大王はまだ生きており、見知らぬイエス様を殺すため、ベツレヘム周辺の2歳以下の幼児を虐殺したとあります。そこで、彼が死んだ紀元前4年から2年を引いて、紀元前5~6年にイエス様が誕生したと推定されています。さて、主イエスが十字架で殺されたのはヨハネ福音書によればニサンの月の14日(共観福音書では15日)の金曜日で太陰暦と太陽暦の差から考えると、紀元30年の4月7日であろうと推定されます。そして、主イエスが死者の中からよみがえらされたという信仰が確立したのも紀元30年とみられます。すると公生涯に入ったとき、おおよそ30歳であるというルカの記述ですが、実は35歳くらいでしょう。私の好きではない表現ですが、「イケ面」であったかどうかは分かりません。ともかく、イエス様は、30歳過ぎに、田舎のナザレからヨルダン川の死海近くの荒野でバプテスマ(洗礼=浸礼)運動をしていたバプテスマのヨハネの処に出てこられたのです。
2.ヨハネのバプテスマ
それでは、ヨハネのバプテスマ運動について触れてみましょう。「バプテスマ」という言葉はギリシヤ語の「バプティゾー」つまり、水の中に沈め、浸すという動詞に由来しています。私たちバプティスト教会は「洗礼」と言わずに敢えて「浸礼」と呼んでいます。新共同訳では翻訳・編集会議で「洗礼」の方が一般的に分かりやすいというの他教派が譲らず、では「バプテスマ」というルビを入れろということで妥協しています。
さて、バプテスマのヨハネのことです。彼は荒野でラクダの毛衣を着て、腰に革の帯を締め、いなごと野密を食べ物としていた」(マタイ3:4)とあり、俗世間から離れ、禁欲的生活を実践していたようです。それまではユダヤ人はユダヤ人に対してバプテスマをせず、改宗した異邦人、つまり、罪人たちがバプテスマを受けていたようです。しかし、ヨハネは「蝮の子らよ。差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』、つまりイスラエル、ユダヤ人だと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子らを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。わたしは、悔い改めに導くために、あなたがたに水でバプテスマを授ける」と言い、それを聞いて驚いたユダヤ人たちもヨハネの処に来て、罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けたと書かれています。(3:5-6)こうして、ヨハネのバプテスマのメッセージは、単なる清めの水浴び(沐浴)や異邦人改宗者の儀式ではなく、1)切迫する神の審判の中で、2)罪を告白し、ここでは「罪」はパウロの考える神と人との間の深い断絶を意味する単数形の「罪」ではなく、複数形で、律法に違反する行為や倫理・道徳に反する行為を意味しています。3)悔い改め、回心=神に向き直り新しい一歩を踏み出すことへの促しであり、4)自分より優れた「私の後から来る方」「来るべきお方」の到来、「霊のバプテスマ」への期待です。そして、そのため世俗世界を捨てて荒野での禁欲精神を鼓舞するものでした。
3.主イエスがバプテスマを受ける
このようなヨハネの姿勢に対して、イエス様は神の怒りの審判とそれに備える荒野の禁欲生活というより、神の愛による赦し、つまり、良き音信=「福音」を信じること(マタイ4:23)、神への喜び、感謝に生きること、我々と同じ街中に生きることを説かれたのでした。イエス様の地上での生活、その後の初代教会の頃、バプテスマのヨハネの弟子たちとイエス様の弟子たちのそれぞれの「神の国」運動が拮抗・葛藤していたことが福音書の幾つかの断片また使徒言行録から分かっています。イエス様がバプテスマを受けられたことはキリスト教会には余り良くない情報です。だからこそ、教会が敢えて造り出す必要がないので、4つの福音書が語るイエス様のバプテスマは歴史的事実であると推測できるわけです。なぜ、不利な物語であるかというと、1)イエス様がヨハネからバプテスマを受けたとしたらヨハネはイエス様の師匠となってヨハネの方が偉いのではないか?ということになるので、2)神のみ子、つまり、方向転換、悔い改める必要のないお方がバプテスマを受けられたとしたら、神のみ子であるイエス様像と人間の一人であるイエス様像とは矛盾するのではないか? という疑問に直面するからです。そのような背景を考えると、今朝読んでいる聖書箇所を理解できるのです。実は、ヨハネ自身非常に当惑し、主イエスが自分に近づいて来ると、それを思いとどまらせようとして言ったのです。「わたしこそ、あなたからバプテスマを受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか」。そして、マタイ福音書だけが伝えている不思議な言葉が登場するのです。「今は、止めないで欲しい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」。主イエスがバプテスマを受けることはすべての正しいことを行うことである」。こうして、ヨハネの躊躇の中で主イエスはバプテスマを受けられたのです。
4.すべて義しいことを成就するため:連帯して僕の道を歩みだす
ドイツの神学者、もう少し生きてもっと良い本を書いて欲しいと思っていたゴッペルトの文章を引用します。彼の本の翻訳がないので、下手な松見訳で、しかも英語訳からの翻訳です。「神が審判者として到来されたらだれがいったい、新たにされ、救われる者としてそこに留まることなどできようか。(つまり、だれも救われない!)しかし、この袋小路、つまり、神の審判の徹底と人は愛され、救われねばならないという袋小路は、予期できぬ仕方でそれ自体を解決した。来るべきお方=キリストは、バプテスマを施すために来たのではなく、彼自身バプテスマを受けることを受け入れるために来られたのである。」(Goppelt, Theology of the New Testament. Vol. I, 40.)来るべきお方がバプテスマを受け、わたしたちと連帯されたのです。僕の道を歩まれ始められたのです。低くされたのです。それこそが、まさに、いっさいの義の成就であったというのです。神の義とはヨハネの考えのように、この世の悪を裁くことではなく、私たちと連帯して人としてバプテスマを受け、イエス様が僕の道を歩むことなのです。後にパウロが語る神の愛と赦しを信じる「信仰による義」です。それこそがすべて義であることを成就(プレローマ)することである!
不思議なことに、この人々との連帯に生きる道、この僕の道を歩み始めたその時に、天からの声がイエスにだけ聞こえ、聖霊が鳩のように御自分の上に降ってくるヴィジョンを見たのです。この言葉は、詩編2:7の「王の即位」の詩編とイザヤ42:1の僕の歌と合体したものです。イザヤ42:1の「僕の歌」は今朝、招きの言葉として聴きました。「見よ、私の僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にはわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁き(ミシュパート)を導き出す。彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。」主イエスは僕の道、十字架への道への歩み出し、バつまり、プテスマを受けられたその時こそ神のみ子の自覚を与えられたのです。そして、マタイ4章1-11において「神の子」とは何であるのかを40日の断食の中で誘う者と格闘され、祈られたとあります。それは厳しい十字架への道です。神の子の自覚と僕の道への歩み出しは一つのことなのです。
結語
そうであれば、私たちもイエス様に続いてバプテスマを受け、イエスの僕の道に続きましょう。神のみ子がバプテスマを受けたのに、単なる人であるあなたはなぜそれを拒むのでしょうか。この道こそ、まことに自由な神の子らの道、自由人として生きる道でもあるのです。宗教改革者マルティン・ルターの『キリスト者の自由』から引用します。「第一命題:キリスト者はすべてのものの上に立つ君主にして、何人にも隷属しない。第二命題:キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、何人にも従属する。」全くの自由と奉仕について相矛盾するこの2つの命題を理解せねばならない。」愛する兄弟姉妹方、この自由と奉仕の精神に生きるため、イエスに連帯するバプテスマを受けましょう。すでにバプテスマを受けている方はこの自由と奉仕の道に生きましょう。(松見俊)