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2022.2.6 「イエスを神の子、救い主と告白する」(要約)  マタイによる福音書26:57ー68

1:  他者を断罪する「正しさ」

 ユダヤのサンヘドリン・最高法院でのイエス様の裁判の場面となります。イエス様の裁判の結論は「イエスを死刑にする」と決まっていました。人々は、自分が正しいことを認めさせるためにイエス様を裁いたのです。自分を正しいとするために他者を裁くということは、私たちも日常生活の様々な場面で同じように行っています。人間の知恵は時に高慢という誘惑として働きます。高慢は、「自分は正しい、他者は間違っている」と他者を断罪するものとなるのです。

 

2:  へりくだり表された「正しさ」

 この裁判において、イエス様は、何も答えませんでした。このイエス様の姿にイザヤ書53章における「苦難の僕」の姿を見るのです。これが、無言の中でどこまでもへりくだり歩まれた救い主の姿。罪にまみれた人間にまでもへりくだられ、人々の過ちを担い歩まれた姿です。神様は自らの正しさをこのへりくだりの姿で表されたのです。

 

3: 神様の前にあって語る言葉

 大祭司はイエス様に「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」(63)と尋ねました。イエス様は「それは、その通りだ」と答えられたのです。これが唯一語るべき言葉でした。「イエスは主である」これこそキリスト者の信仰告白です。

 私たちが語る正しい言葉とは神様の前に立ち語る言葉です。イエス様は、このことを実行された。どれほど人間に不当に裁かれようとも、イエス様は神様の前に立ち「イエスが神の子、メシア」であると語られたのでした。

 

4:  裁き主イエス・キリスト

主イエス・キリストは裁き主として来られるのです。イエス・キリストの裁きに耐えられる者は一人もいません。唯一、私たちがイエス・キリストの裁きに耐えられるとすれば、それはただ私たちのために裁かれたイエス・キリストを信じることなのです。イエス・キリストは、裁く方であり、同時に私たちに代わり裁きを受ける方となってくださったのです。そして弁護者としてもおられる。ここに神様の正しさと慈しみを見るのです。

 

5: へりくだり生きる

 

イエス・キリストは神様の前にへりくだり歩まれました。私たちが「イエスは神の子、メシアである」という言葉を持って生きる道は、神様の御心にへりくだる道であり、それは苦しみの道であり、同時に喜びの絶えない道です。「イエスは主である」と告白し、歩んでいきましょう。(笠井元)