1: ユダの後悔
皆さんは自分の人生において後悔したことはあるでしょうか。イスカリオテのユダは自分が行ったことが間違っていたと後悔しました。ユダがイエス様を裏切った理由ははっきりしとはしていません。一つは、ユダが社会的な改革を求めていたとされ、もう一つにはお金の管理を任されていたユダが、高価な香油をイエス様に注ぐことに憤慨したことから裏切ることを考えたとも言われています。ユダがイエス様のことを裏切った理由は様々考えられていますが、ユダはこの裏切りは間違っていたと後悔したのです。
2: 自分を裁いたユダ
イエス様のへの裏切りを後悔したユダは、自分の間違えを自分でどうにかしようとしました。しかしどうすることもできず、最終的に自分の命を絶っていったのです。この時ユダは二つの間違いを犯したのです。一つは、自分で自分を裁いていたということです。わたしたちは自分で自分のことを裁くのではないのです。イエス・キリストが、私たち人間を裁かれるのです。イエス・キリストは真実である義と、慈しみのあふれる愛とをもって私たちを裁いてくださるのです。
3: 自分で罪からの回復をしようとしたユダ
ユダのもう一つの間違いは自分の間違いを自分の力でどうにかしようとしたことです。ペトロはイエス様のことを3度「知らない」と言いました。しかしペトロは後悔で終わるのではなく悔い改め、新しい命を生きたのです。それに対して、ユダは間違いを自分の力でどうにかしようとしたのです。神様の前にあって罪は消えることはありません。私たちがどれほど良いことをしたとしても、間違いを犯したという事実は消すことはできないのです。
4: 罪を覆ってくださった神の赦し
消えることのない私たちの罪のために、イエス・キリストはこの世にきてくださったのです。私たちの罪はイエス・キリストの十字架によって覆っていただいき、義なる神に赦されたのです。ユダの最大の間違いはイエス様を祭司長たちに引き渡したことではなく、その罪を自分でどうにかしようとしたこと、神様との関係から離れてしまったことです。
5: 神の贖いに信頼して
今日の箇所でユダの裏切りの出来事はエレミヤを通して語られていたことが実現したとするのです。神様はユダの罪をも超えて救いの出来事を起こされたのです。ここに神様の御業の偉大さを見るのです。私たちは神様に赦されている。私たちは愛されている。それは変わることはありません。私たちは贖い主である神様に信頼し、委ねていきたいと思います。(笠井元)