1: 時間の使い方
神様は創造の仕事を完成され七日目に安息されました。私たちは様々な形で休息をとり、体の癒し、心の癒しを得るのです。そして魂の休息のために礼拝があるのです。神様が私たちの存在を「良し」とし「あなたはわたしにとって大切な存在だ」と教えてくださっていることを受け取る礼拝こそが、本当の休息の時となるのです。
私たちは神様から生きる時間を与えられています。時間は神様からの恵みの一つです。私たちはこの時間をどのように使っているでしょうか。今日の箇所にある安息の時は、神様に自分の時間を献げる礼拝の時なのです。
2: 切り詰められた時間
以前、友人の牧師が「私たちは、卵を産まされている鶏のようだ」と言っていました。本来、卵は、太陽が東から昇って、西に沈むという自然の時間の中で産むものです。しかし、効率性や生産性を重視する現代社会では時間を待つのではなく、電気で人口的に昼と夜を作り出し「早く産め」と急かしている。生き物の時間と空間を切り詰めている。私たち自身も、切り詰められた時間の中、切り詰められた空間に生かされている。これが今の人間の生き方なのです
3: 人間の時間枠から、神様の時間枠へ
聖書は神様が創造の仕事を離れ安息されたことを教えます。神様の安息はただ休むということではなく、神様に目を向けること、礼拝する時間を意味しているのです。それは、人間が作り出している、ただ生産性のみを考えている時間枠から、世界の創造主である神様が造られた時間に立ち返ることを意味しているのです。神様は世界を創造されました。そして時間を創造されたのです。聖書は、人間が自分中心に生きる時間から一度離れて、神様の時間に戻ることの必要性を教えているのです。
4: 礼拝から始める
神様は六日目に【我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。】(創世記1:26)と語り、人間を創造しました。聖書において「支配」するとは「仕える」ことと言ってよいと思います。人間は神様が「良し」とされたこの世界に仕える者とされたのです。私たちが変えていかなければならないことがたくさんあります。しかし、だからこそ、私たちはまず神様と顔と顔を向き合わせて生きていきたいと思います。私たちは今一度、神様に礼拝することから人生を始めていきましょう。(笠井元)