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2022.4.13 「教会形成~問題に目を向ける~」 Ⅰコリントの信徒への手紙11:17ー22

1: 問題に目を向ける 17-19

 コリントの教会には「仲間割れ」「仲間争い」がありました。パウロは、そのことについて【わたしもある程度そういうことがあろうかと思います。】(18)口語訳では【いくぶんか、それを信じている。】(18)とあります。

パウロはこれまで「結婚について」「偶像に供えられた肉を食べるかどうか」「礼拝でのかぶり物について」など、コリントの教会からの質問に答えてきました。しかし、「仲間割れ」という問題についての質問はなかったのです。

仲間割れ、分裂は教会の存亡にかかわる大きな問題です。しかしコリントの人々はこのことをパウロに相談しなかったのです。コリントの教会の人々は、自分たちのなかにある一番の問題に気づいていなかった。または、気づいていながらも目を向けなかった。目を向けられなかったのかもしれません。

私たちは自分たちの教会の問題に目を向けているでしょうか。私たちにも自分たちの教会の問題に目を向け、改善していく必要があるのです。

 

2: 当たり前のことに目を向ける 20-22

20節からは食事、主の晩餐を食べることについて問題があることを指摘します。当時の教会は、個人の屋敷が集会の場所として提供されていました。

なぜなら、食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです。】(21)コリントの教会では、富裕者が貧しい者に配慮することもなく食事をしていたのです。富んでいる者は、さっさと働きを終えて集まり、礼拝し、共に食事をしたのです。そこに貧しい者が長い時間の労働を終えて、空腹の中、やっとのことで教会にやってきても、そこにはもはや食事はなかったのです。

現代聖書注解ではこのように説明しています。

「この時代のローマ時代の家の考古学的研究は、典型的な邸宅の食堂には、食卓につくために横たわる状態で九人しか収容できないと報告している。他の客は中庭に座るか、立つかしなければならなかった。中庭はあと30から40人の場所を提供したと思われる。」(「現代聖書注解 コリントの信徒への手紙Ⅰ」p.322

集会の主催者と友人や高い地位の人が食堂に招かれ、それ以外の地位の低い者は中庭にいて、食事をすることはできていなかった。このことは1世紀のギリシア・ローマ世界の普通のことだったため、コリントの教会では問題とはしなかったのかもしれません。しかし、パウロは当時の文化・社会としては普通で一般的なことを問題としたのです。

 キリスト者として生きること。それは一つには、世間一般の常識、普通とされることを、きちんと見て、問題がないか考えることでもあります。私たちも「当たり前」のこととなっていることで、他者を傷つけていないか考えたいと思います。

 イエス・キリストはどのように生きてきたのか。イエス・キリストの十字架を覚えて、自分たちがどのように生きるのか、考えたいと思うのです。

 

3: 心を一つにする 神の教会

 パウロは「あなたがたは神の教会をみくびっている」と語ります。

 ペンテコステの時、教会が誕生したときの姿として、使徒言行録2章では【信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していた】(使徒言行録2:44-47)と記されています。

 人々は、神の教会として、心を一つにし、それぞれの持ち物を分け合い、パンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をしたのです。

 ただ、一緒に食事をすることだけならば、キリスト者ではなくてもしていることです。神の教会では、ただ食事をするのではなく、「パンを裂く」ことから十字架のキリストを覚え、心を一つにしたい。

 

そして、この後パウロは、主の晩餐について語りました。(Ⅰコリント11:33-34)パウロはこの食事を通して行われる「主の晩餐」を通して、互いに心を合わせていくこと、一致すること、仕えることを教えているのです。(笠井元)